恐怖から思い浮かぶこと

当ブログでは現役IB生が学習者目線から国際バカロレア・ディプロマプログラムについて感じていることを紹介しています。参加者は2ヶ月に1回程度オンラインであれこれ情報交換をしているのでが、その際には必ずとっていいほど熊谷からお題が出されます。

今回紹介する回では、次のようなお題が出ていました。みなさんも一緒に考えてくださいね。

「恐怖という言葉を聞いて、思い浮かんだもの(こと・ひとなどなんでもいいです)を3つまであげてください。」

恐怖という言葉を聞いて思い浮かんだもの

ミーティングでは、参加者の現役IB生の皆さんの「恐怖」についての考察を、熊谷は「antConc」というコンコーダンスにかけて、頻度調査や共起する単語、前後の文脈について少しだけ触れました。英語を教えていたときは生徒が書いたものをこのコンコーダンスにかけて英作文指導に活用していたそうです。

コンコーダンスにかけた結果、参加者の皆さんの「恐怖と聞いて浮かんだもの」以下の結果になりました。

1位 幽霊

2位 人間

3位 虫

その他にもこのようなものが上がりました。

眼状紋 さかむけ 父親 痛み 言葉 失うこと 深海 言葉 怪我 事故 ストレス 人から失望されること 事実をもとにした怖い話や映画 人間 自然災害 感情 人間 ピエロ 失敗人に嫌われること 幽霊 ヤバい人 大きい音 生老病死 他人の不幸 暗闇 歳をとること怪我 虫 クマユウ 無知 水泳 

恐怖の裏にあるもの

興味深い考察は、「恐怖」について「自分でコントロールできない」という捉え方をしている参加者がいたことです。例えば「他人の不幸」をあげた参加者は、「自分に降りかかる不幸も困難も苦痛も、自分のものであれば機会に変えられるかもしれない、そうでなくても抱いた上で先に進める。けれども他者の不幸だけは癒すことも、代わりに抱え込むこともできない。それを楽観視することはできない。それに自分は恐怖を感じる。」と話していました。

1位に「幽霊は」「証明できなかったり、確証がないところが嫌」とか「頭では存在しないと思っているのですが、いるかもしれないと思わさせる幽霊がすごい怖いです。幽霊に関して何も意識していないときは何も感じないのです。ですが、そういう話を聞いた後、動画・テレビ番組を見た後だと、幽霊について意識してしまって、夜のトイレの恐怖、シャワーを浴びているときの背後の存在感、寝ているときに妙な見られている感覚などを感じて、いつも周りを確認するようになってしまいます。」といった意見もありました。

このような問いに答える過程で、考えを変えた参加者もいます。最終的には「失うこと」をあげた参加者は「はじめは死と書こうとしたのですが、生き物に限らず大切なものがなくなってしまうという感覚はすごく耐えがたいことで、私にとっては恐怖でもあると思いました。また、考えている途中で『大切なもの』の存在自体も恐怖かもしれないと思いましたが、それよりもしあわせの方が上回ると思ったのでやめました。」と書いています。恐怖を定義し、その定義が含む範囲を洞察しているなと感じました。

恐怖について考えることで自分自身の価値観や自分や他者とどうのように向き合っているのかが浮かび上がってきたようです。

人間が人間を最も恐怖する

なんと言っても、回答が多かったのが「人間」です。人間が一番怖い。みんな、そう感じているようです。人間をあげた参加者の声に耳を傾けてみましょう。

「テレビやTwitterで殺人事件などのようなニュースを見ると、やっぱり人間が一番怖いのかなと思います。人によって性格は違うし、その性格は見た目では中々わからないです。しかし、生きていたら、誰かとは必ず接することになります。歩いていても、会社に行っても、周りには人がいます。そんな中で、通り魔のような無差別な殺人鬼、簡単に人が殺せる人がいるかもしれないと思うと、怖いです。」

「今まで生きてきた中で、地下鉄サリン事件や、バラバラ殺人事件や、誘拐事件など、様々な殺人事件を知って、私は、この世で一番怖いのは人間だと思っています。同じ人間であっても、簡単に人や動物を殺すような人の気は、理解できないし、いじめなどによる自殺も、ある意味殺人であると思うので、何をするかわからないという点で、人間という生物がすごく怖いです。」

「幽霊とか妖怪とかゾンビとか、怖いなと思ったことはあるけれど、私はいつも人間の方が怖いなっていう結論に辿り着きます。大きな単位を例に出して話すと、まず国や地域は戦争をしているところがあるし、社会は、いじめ、パワハラ、差別、DVなど人を傷つけるような問題がたくさんある。同じ生きている同じ人間でなんで平気でそんなことができるんだろうと怖くなります。勿論平気じゃない人も居るだろうけど。私も突発的に殺したいほど嫌いって思ったことがないわけではないけど、本気で殺そうかって実行に移したことはないし、憎しみが殺人に繋がってしまった殺人犯確かに怖いけど、それよりも周りに頼れる人がいなかったり、話を聞いてあげられる人がいなかったことが凄く悲しいし、見放した人達、社会が怖い。異質なものとか、所謂普通じゃないことに恐怖を感じるのかな。だから差別も生まれるんだと思います。小さな単位を例に挙げると、個人が怖い。私は情緒不安定になりやすい体質なので、凄くポジティブだったり、すぐイライラしたり、ネガティブになったりコロコロ変わる期間が1ヶ月に1回くらいの頻度であるのですが、どちらかというと、負の感情になることが多くて、SNSにあがった他人をみてイライラしたりネガティブになったりする自分が怖いです。怖いというより、嫌いの方が近いけど、感情をコントロールできなくなって、思いたくないこととか考えたくないことを嫌でも考えてしまう自分が怖いと感じます。」

最後に

このミーティングに参加した、現在オランダの大学で学んでいる野中宏太郎くんは、「これがもしTOKの議論なのだとしたら、些か物足りなさを感じた」との感想を寄せてくれました。

恐怖というお題を与えられて、人間の負の側面にばかり注目したのは何故なのか。「暴力」や「悪意」「無知蒙昧」など、人間の負の側面を象徴する言葉がたくさんあるのに、わざわざ「人間」と銘打って恐怖を考察し始めたのか。そうしたことを掘り下げる学問がTOKだと考えていると話していました。

このプロジェクトにはDPがまだ始まっていない高校1年生、始まったばかりの2年生、そして最終学年の3年生とまだこのプログラムと格闘している最中の参加者がほとんどです。その参加者にとってこういったDPを終えた野中くんのフィードバックは彼らの視点を広げる上で非常に有効です。

「恐怖」から「人間」を連想する、という意見を逆にしたとき、「人間」という言葉から「恐怖」を連想する人はどのくらいいるのでしょうか。

野中くんは最後にこのような問いを残し、問われたことをに対する自分の答えが逆向きに問われても同じ答えができるだろうかという試みを今度は参加者自身が自分に問えるようになるといいなと思ったと助言してくれてました。

さて、次回からは現役IB生がこれまでに受けたDPの授業で、バズった授業を紹介してくれます。そちらもどうぞお楽しみに!