みなさん、こんにちは。熊谷優一です。この前教育財源の必要性を考えるで「教育財源の必要性」について書きました。今日は私が以前定時制で教えた2人の生徒たちが、全国で存続が危惧されている定時制での学びについて語ってくれます。ぜひ耳を傾けていただきたいと思います。
定時制高校での学び
みなさん、こんにちは。2014年3月に岩手県一関第一高等学校定時制を卒業した菅原優樹と申します。この前、熊谷先生どうしているかなと連絡したところ、この定時制で学んだことを書いてみないかと言われ、あれよあれよという間に書くことになりました。
全日制高校と定時制高校との違いは時間帯です。授業は夕方5時半から始まり、4年間かけて卒業します。最初は、『長いなぁ~』って思っていたんですけど、今思えばあっという間だった気がします。
先生方はいつも私達生徒とのコミュニケーションをとろうとしてくださいました。だから、私も気軽に、職場のこと、勉強のこと、趣味のことなどいろんなことを話すことができました。定時制は生徒数が絶対的に少ないので、細かく丁寧に先生たちから指導を受けることができたように思います。
熊谷先生に出会ったのは高3の時でした。初めて話したときに発想が豊かな先生だなぁと感じました。授業以外ではバドミントンの顧問をしていました。当時私はバドミントン部に所属していて、細かいところまで指導して頂きました。むしろ、一番厳しく指導されたのは、私のすぐめげてしまう心だったかもしれません(笑)。
部活は毎日40分くらいしかできませんでした。でも頭を空っぽにして、集中して取り組むことができました。おかげで2年連続定時制の全国大会に出場することもできました。
部活の最後には1セットだけですが、必ずゲームをしました。熊谷先生はこちらが裏をかいたつもりでも、そのまた裏をかいてくるので、隙がないというか、弱点がないんじゃないかと感じました。あのニヤリと笑った悪い顔もよく覚えています。
定時制だからこそ
定時制と聞くと、もしかしたら何かマイナスのイメージを持たれるかもしれません。でも、みなさんにわかっていただきたいのは、学び方はたくさんあって、そして、いろんな事情を抱えている人が学校にはいるということです。
私がもし全日制高校に行っていたら、生徒会長をやることもなかったでしょう。熊谷先生に出会うこともなくただ普通に高校生活を送っていたことでしょう。熊谷先生とは1年も一緒にいませんでしたが、そのイメージは強烈です。自己否定観満載の、というか、言い訳をして何もしない私たちに、「やってみたら、やれるかもよ」って体当たりでぶつかってくれました。
定時制という選択
引き続き、鳥谷巧です。私が、定時制高校に入った理由は、単純です。志望校に、落ちたからです。高校受験に私は失敗しました。私立高校に行くお金の余裕が無かったので、定時制高校を選びました。
おそらく、みなさんのご想像のとおり、志望校ではなかったので、全く勉強する気が起こりませんでした。正直、ただ通っているだけ。教室にただいて、授業中に携帯をいじったり、漫画を読んだり、寝たりしていました。今思えば、勝手に拗ねていただけかもしれません。注意されると、先生にも反抗的で、正直あの時の自分をちょっと恥ずかしく思ったりします。
そんな私ですが、アルバイトはしたいと思っていました。少しでも、金銭的に親に迷惑をかけたくなかったからです。それでも学校に通いながらシフトを組んでくれるアルバイト先は多くありませでしたが、何とか職場を見つけ、高校1年生の秋頃からアルバイトを始めました。
最初は、もう大変でした。私の態度と矛盾するかもしれませんが、アルバイトで覚える事や、授業の内容も覚えないといけないと思っていたので、両立することは辛かったです。特にアルバイトを始めたばかりの時は大変でした。正直、辛抱弱い私は、何度もやめてしまおうと思いました。
でも、アルバイトの仕事の内容をこんな私にも優しく教えてくれる方もいて、週5日1日7時間働いていくうちに、仕事にも慣れ、一番忙しい時間帯に責任のある仕事を任されるようになりました。自分みたいな人間にそんなに仕事を任せてくれたことがとてもうれしかったのを覚えています。
揺れる自我
熊谷先生と出会いは、高校3年生の後期でした。前の英語の先生の体調不良で、熊谷先生が代わり来ました。初めて会ったのは、私の態度が悪くて、別室で指導を受けていた時だったと思います。
熊谷先生は私にとって、学校で唯一、私のことを知らない人でした。だからまっさらな状態から、先生にいろいろと話せたのかもしれません。うまく言葉にできないときも、先生はじっと話を聞いてくれました。自分の話を聞いてくれる人がいるのは何だかとてもうれしかったし、もっと話をしたいって思うようになりました。
ある時、先生は私が書いた作文を読んで、「巧、おまえ、字が上手だな」って言いました。あまり褒められてことがなかったので、照れくさかったの覚えています。その後、調子に乗った私は漢字検定を受けて2級を合格し、校長先生から賞状をもらったりしました。自分に少しだけ自信が持てるようになると、あれだけ嫌いだった勉強にも身が入るようになりました。
いつも先生たちがそばにいてくれた
定時制に通う生徒は少ないです。私達の同級生の人数は6人でした。だから体育で授業で球技をやろうとすると人数が足りません。熊谷先生を含め他の教科の先生も授業が空いていれば必ず来てくれて、一緒にバレー、バスケ、バドミントンなど行いました。調理実習の時も、先生たちが見に来てくれました。
私たちにはいつも先生たちがそばにいました。そのうちに、先生と打ち解けて、仲良くなって、授業も楽しくなり、あれだけ無気力に過ごしていた学校生活を楽しく過ごせる事が出来ました。今は、定時制のすべての先生に感謝しています。
でももしかしすると、熊谷先生と出会わなかったら、学校を辞めていたかもしれません。アルバイトとの両立も出来なかったかもしれません。熊谷先生と、出会えたから、学校に行くのが楽しくて(これホント)、毎日充実した濃い学校生活で、定時制を辞めなくて済んで、ちゃんと就職もして今は工場で勤務をしています。
最後に
再び、熊谷優一です。鳥谷くんは感動屋さんですから、話半分に理解していただければと思います。ただ、最後に一言だけ言わせてください。
日本において学校はセーフティネットだと私は思っています。生き方を学ぶ場所として、そして命を守る場所として、学校はその機能を担っています。学校には実に多様な子供たちが通っていて、多様な支援を必要としています。そんな中、少子化の流れが学校に通う生徒たちの様々なニーズに応えなくなるのではないかと懸念しています。
でも、学ぶ機会さえあれば、必ず伸びる学習者がいます。だからどうか夜間高校をなくさないでほしい。そして、様々な支援のもとに、社会に貢献する準備をしている子供たちがたくさんいます。コストはかかるかもしれませんが、学びたい人に学ぶ機会を提供できるそんな国であってほしいと心から願っています。