みなさん、はじめまして、狩野伸行と申します。堺市にある公立中学校に勤めております。
学校から飛び出して「つながり」を構築していたところ、ひょんなことから当ブログを主宰する熊谷先生とお会いし、IBのことだけでなく多くのことを学ぶことができました。話をしていくうちに同郷のよしみであることが分かり(熊谷先生は宮城県のベイエリア気仙沼市の出身、ボクの両親は山奥の栗原市出身)、熊谷先生をさらに身近に感じることができました。
今回はせっかくの機会ですので、ボクたちの勉強会の紹介を兼ねて、学校教育について少しお話しさせていただきたいと思います。
What is the goal? Open minds; not closed issues.
教育の目的は「人格の完成を目指す」ことであり、そこには無限の可能性と多くの課題があります。仲間たちと現在の日本の学校教育を考えてみると、「自律・自分事・つながり」に大きな課題があると感じておりました。そして、まずは自分たちが取り組める課題である「つながり」を構築すべく、2年前に仲間たちと「Harvest」という勉強会を創りました。
Harvestは、「学びは多様な他者との「協働」により生まれる」との信念のもとに運営しています。現実社会で我々は、目標を達成するために専門性を高め、組織を作り、力を行使していきます。しかしながら、いつしかそれらが「枠」となり、思考の柔軟性を妨げていないかと強く感じていたからです。
さらに「コロナ禍」における学校教育が直面する試練を機会として、オンラインにも「たまり場」を創造しました。熊谷先生をはじめとした多様な方々を巻き込み、できる限り既存の「枠」を越えて、次世代につながる「軸」を集合知で育てるためです。本当の意味での「多様な人々とのフラットな立場での協働作業」を通じた「学び合い」は、偏見なく考えるための強い「つながり」となるのを肌で感じました。
What is the teacher? A guide; not a guard.
「住する所なきを、まず花と知るべし」とは世阿弥の言葉ですが、変化を恐れず未来に向けて前進することこそ、「先に生まれた」大人の責務ではないかと思います。次は教師の役割について、お話ししたいと思います。
結論から述べると、これまで教師はガイド(案内)ではなく、ガード(看守)としての役割を強めていたと考えました。その理由としては、教育に関する言葉の本質が変容する機会があったからではないかと思っています。西洋文明を取り入れ、近代教育が始まった明治期にすでに課題が見いだせるので、そこまでさかのぼって紐解いてみましょう。
わかりやすい例として、2つの漢字を見てみます。初めに「教(旧字体「敎」)」という字ですが、この漢字は本来、枠内で子どもを鞭打つ姿を語源(白川静「常用字解」)としています。ですから福沢諭吉は、元来「引き出す」という意味のeducationを「教育」と訳すのは誤りであり、「発育」とすべし(福沢諭吉「文明教育論」)と述べています。次に「芸」の字ですが、西周はArtの訳に「藝」の字をあて「藝術」という言葉を創りました。ゲイ(藝)は本来「植えて見守る」という意味なのですが、不幸にも戦後のどさくさで「刈り取る」という別の字、ウン(芸)に統合されてしまいました。
こうした歴史を経て「教育・学芸」の意味が「鞭打って、刈り取る」という、本質と違う意味を帯びてきました。となると教師は、自律した発育を見守りガイドする力ではなく、指示を迅速に遂行させるガードとしての力が必要とされます。さらに教育を受ける側が指示を遂行することに腐心すれば、その内容と頻度に依存することになります。ガードが目を光らせていないと前進できない状況が、果たして「education」の本来の意味に沿っているでしょうか?
誤解のないように説明させていただくと、これらを単に批判しているのではありません。時代の状況や背景によって、求められる教育の形が変容するのは歴史的に珍しいことではないからです。しかしながらこれからもこのままでいいかどうかは、「自分事」として皆で考えなければならない課題だと思っています。
What is school? Whatever we choose to make it.
我々は学校を「学びのたまり場」だと考えていますが、手段が目的になると「聖なる監獄」へと変容することもあります。もちろん入門期には集団で「めあて」を与えられ、「正誤で判断する」時期も必要です。しかしやがては自らの力で、広い世界を探求していかなければなりません。私たちはその自ら探求しようとするマインドこそが「生きる力」だと信じています。
– 学びひたり、教えひたろう、優劣のかなたで –
学校は人間が生み出した、最高の施設の一つだと信じています。そしてそこからの卒業は「解放」ではなく「巣立ち」、つまり新しいスタートでなくてはなりません。未来に向けて何が必要かを、ぜひみなさんと一緒に考えていきたいと思います。「つながり」こそが、ボクらの勇気!ですから。
最後に
最後までお読みいただきありがとうございます、今回引用させていただいたアラン・A・グラソーン氏の詩(A. Mattos「Narratives on Teaching and Teacher Education」)と訳を紹介いたします。皆様にいつかどこかでお会いできることを楽しみにしております。You’ll never walk alone.
狩野伸行
What Is the Teacher? By Allan Glatthorn
訳 中嶋洋一 (「プロ教師に学ぶアクティブラーニング」開隆堂)
What is the teacher? 「教師」とは何でしょうか?
A guide; not a guard. それは「ガイド」であり、「看守」ではありません。
What is learning? 「学び」とは何でしょうか?
A journey; not a destination.「長い旅(生涯学習)」であり、「目先の点数」ではありません。
What is discovery? 「発見」とは何でしょうか?
Questioning the answers; not answering the questions.
「本当にそれで良いのかを考えること」であり、「正しい答えを言うこと」ではありません。
What is the process? 「過程」とは何でしょうか?
Discovering the ideas; not covering content.
「考えを巡らすこと」であり、「答えを( )に埋めること」ではありません。
What is the goal? 「ゴール」とは何でしょうか?
Open minds; not closed issues.
「偏見無く考えること」であり、「問題を解決すること」ではありません。
What is the test? 「テスト」とは何でしょうか?
Being and becoming, not remembering and reviewing.
「自己理解と変容」であり、「暗記したり復習すること」ではありません。
What is learning? 「学び」と何でしょうか?
Not just doing things differently, but doing different things.
「同じ事を違う方法でやること」ではなく、「違うことをすること」です。
What is teaching? 「教える」とは何でしょうか?
Not showing them what to learn, but showing them how to learn.
「何を学ぶか」を示すことではなく、「学び方」を教えることです。
What is school? 「学校」とは何でしょうか?
Whatever we choose to make it.
どちらを目指すのかを、みんなで話し合って決めるのが「学校」です。