ネクラトラベラー:サイゴン1997 vol. 2

探り合って 探せなかった
求めあって 虚しかった

思いかげず 巡り合う
思いがけず

日常を離れた旅の中で自分では思いもしなかったステキな人や、言葉や、心揺さぶられる経験と出会うことがあります。みなさん、こんにちは。熊谷優一です。前回に引き続き、私の人生観に決定的な影響を与えることになったベトナムへの旅について書こうと思います。

時は1997年12月。今から23年前になります。

戦争は終わったのだろうか

当時ベトナムはようやくドイモイ政策がうまく回り始め、サイゴンの街は活気に満ちていました。私がベトナムに対して持っていたイメージと言えば、ベトナム戦争ととにかく貧しい国だということでした。

いわゆる「ベトナム戦争」は1975年に終わり、ベトナムは南北統一と独立を果たしましたが、その後カンボジアに侵攻したり、中国と戦争に発展したり、国際社会から孤立します。船でベトナムから脱出するボートピープルに関するニュースを覚えている方も多いのではないでしょうか。外務省によれば、日本でも1978年から2005年までにベトナム難民を含むインドシナ難民の日本定住を11,319人受入れたそうです。

戦争は本当に終わっているのだろうか。ベトナム戦争が終わってもう20年経ち、街には爆発的経済発展の熱気が充満している一方、通りには手製のスケートボードに乗って移動する足や手を失った男性たちストリートチルドレンや物乞いをよく見ました。

どんなに辛くても死のうとは思わなかった

サイゴン市内にある戦争博物館や、ベトナム戦争ゲリラ戦の拠点となったクチトンネルを訪れました。クチトンネルは約200キロに渡り3層構造で掘られ、作戦会議、兵器の修理、病院や住居になっていました。こんなところに住まいながら、戦ったのかと愕然としました。たベトナムの人々は結局の所、人力であの戦争を戦ったのだと感じました。

私はためらいつつも、仲良くなった何人かのベトナムの人たちにベトナム戦争のことをおずおずと聞いてみました。彼らは戦争が終わった当時、まだ小学生に上がらないくらいの年であんまり確かなことは覚えていないようでしたが、戦後の貧しい時期の生活については本当に大変だったと話していました。

しかしながら、こんな話も聞きました。北ベトナムと比べて南ベトナムはメコン川とその支流が流れており、肥沃な大地が広がっています。実際、稲刈りをしている隣の田んぼでは稲が青々と茂り、その隣では田植えが行われているところを見ました。そんなに色々なことを考えなくても農作物は育つ環境にあり、果物の種類も豊富で勝手に生ってくれるし、川に網をかければなんでかんで魚が取れるから、ひもじい生活というほど貧しかったわけではなかったそうです。

「あれほどたくさんの人が死んだから、どんなにしんどくても死のうっては思わなかったな」という一言にみんな頷いて、氷が入った生ぬるいビールで乾杯しました。

習わなければ学べないというわけではない

しかし、十分な教育を受けられなかったというのに、みんな英語が堪能でした。ストリートチルドレンの女の子と話した時のことです。彼女はこんなふうに英語で話していて私は驚愕しました。

I have been discriminated in this country.

学校に行っていない、字も読めない彼女が現在完了形を受動態を組み合わせて自らの境遇を語るのですよ!習わなければ学べないというわけではないんです!でも、嘆いたところで生きていけない。だから外国人に話しかけて、見様見真似で英語を学んだんだそうです。英語を話せれば、土産物が売れる。運が良ければご飯をごちそうしてもらえる。

彼女を何年か後に、銀行で見かけました。私のことは全く覚えていませんでしたが、スポンサーを得て、銀行口座を持ち、貿易の仕事を始めようでした。初めて会った時はとても小さくて、幼稚園くらいの年齢かと思いましたが、実際は10歳でしたが、私なんかよりよっぽど大人な表情をしていました。

最後に

「人生六割」

私が出会ったベトナムの人たちから得たこの考え方は私の人生の節々で私を支えています。大国を相手に勝利を勝ち取った彼らから聞く話には妙に説得力がありました。

100%自分の思い通りには決していかない。8割は欲張りすぎ。でも50%だと引き分け。だから6割。相手にもある程度勝たせる。でも一割自分の方に寄せていく。それは絶対に死守する。6割を続けていけばもともと目標としていた100%をやがて超えるだろう。

完璧を目指すものの、それが手に入れられなければ、諦めがちな完璧主義者でいることは損でしかありません。思い通りにいくことなんてまずないですもんね。持続可能な勝ち方、勝たせ方。そこに頭を使う。工夫する。「よし!」と思って帰国の途に立ったのを今でもはっきり覚えています。

以来、かれこれベトナムには20回近く行っています。また行きたいなぁと思う今日この頃。早く安心して行き来できることを心から願っています。