海外留学のすゝめ その1

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みなさん、こんにちは、熊谷優一です。今日は報告があります。私が勝手に嬉しいだけの報告ですが、我慢して聞いていただけたらと思います。

韓国留学から帰国して8年になりますが、ようやく念願の高校一種外国語(韓国語)の教員免許を取得しました!これで私は胸を張って英語と韓国語の授業を日本の学校で教えることができます。国際バカロレア(IB:Internationa Baccalaureate)ディプロマプログラム(DP:Diploma Programme)の中にもグループ2の外国語科目の中に、韓国語Bという科目と韓国語ab(アビニシオと読みます)という科目があるので、将来的にそのどちらかの科目を教えられたらいいなと思っています。

これを機に、韓国に留学した経緯と実際の留学生活について2回に渡って書こうと思います。今は大変なときではありますが、かならず状況が好転する時が来ます。海外留学を考えている人はその時のために今何ができるかと考えながら読んでいただければと思います。

海外留学に直面する費用の問題

海外留学と一口に言っても、学費や生活費を含めた留学費用をどう工面するのかというのは学力ともに大きな問題ですよね。私が韓国に留学することができたのは、ひとえに韓国政府から奨学金を受けることができたおかげです。

私は当時、宮城県立高校の教員を11年間していましたし、どこかのタイミングで大学院で勉強したいと思って準備していたので、ある程度の蓄えはありました。公立の教員には大学院で学ぶため特約退職という制度があり、現職で大学院に通うことができます。が、年金や健康保険などは現職のため、払い続けなければなりませんし、身分は公務員のためアルバイトができません。

したがって、特約退職して全財産をかけて大学院で学ぶとしても、資金面で早々に不足が生じることは目に見えていました。そこで国内の大学院ではなく、公的奨学金に応募し、その奨学金を得て海外の大学院を目指すことにしました。

そもそもなぜ韓国だったのか

どの国の大学院にするかを考えるとき、英語圏は絶対に選ばないと最初から決めていました。理由は簡単です。その世界でトップを取ることは非常に難しいからです。ピラミッドの裾野が広ければ広いほど、競争相手は多くなります。できれば自分ひとりだけのピラミッドが作れる、この世に分母も分子も自分だけの世界はないかと思って国を選びました。

奨学生募集のタイミングもありますが、選択肢として上がったのがハンガリーと韓国です。日本語と同じくウラルアルタイ語族に属していると言われるハンガリー語と韓国語は日本語母語話者である自分が最も早く習得できる外国語だと仮説をたて、これまで自分が英語習得のために用いた手法を応用してそれらの言語を運用できるようになれば、日本に帰国して再び英語教育の世界に戻るとしても、系統が異なる2つの外国語を話せる指導者の指導法は信用度が格段に増すだろうと結論しました。

で、応募して、受かったのが韓国です。私は「カムサハムニダ」という言葉しか知らない状態で、教員を辞め、いざ韓国に留学したのです。不安がなかったといえば嘘になりますが、やれるというか、やるしかないという思いは強くありました。

韓国留学で英語を学ぶ

韓国政府の国費で全世界から集まった留学生はいくつかの大学附属の語学学校に配属され、ある一定の韓国語力を身に着けることを求められます。それをクリアしないと大学院に応募することを許可されませんでした。

私が配属されたのは延世大学の語学堂です。そこで全世界から集まった留学生と約1年間共に学びました。そういえば、休み時間にアフリカから来た留学生から「日本には本当にSamuraiはいるのか?」と
聞かれたことがありました。

これはチャンスと思い、「Samuraiは特権階級で、刀を所持し、人を殺めることが許可されている。日本に行って、街であんまりふざけたり、騒いだりすると、その辺に潜んでいるSamuraiに裏道に連れて行かれ、斬られることがあるから注意したほうがいい。それをTsuji-giriって言うんだ」と渾身の冗談を言いました。まさか信じていないと思いますが、もしアフリカでこの話が広まっていたら、その情報の大本は私です(笑)。

やはり韓国語は日本語に非常に近く、北米、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアから来た留学生たちよりも習得のスピードは格段に早かったようです。そうするとどうなるかというと、彼らに韓国語を教えてほしいと頼まれるわけです。国費留学生の共通言語は英語。英語圏に留学経験がない私が英語力を伸ばしたのは、皮肉にも韓国での留学生活でした。

最後に

韓国留学から帰国してすぐに、私は宮城県教育委員会に高校の韓国語の免許を申請しました。海外の大学や大学院を卒業・修了して、日本の制度で何らかの資格を得ようと思うと、提出する書類のいちいちをすべて日本語に翻訳を求められるんですよね。修了証、成績証明、とった授業の詳細などなど。それにとても時間と手間がかかりました。

で、免許を取得するために1単位、文学に関する単位が不足していることがわかり、そのときは免許は付与されませんでした。そして、大阪に移住してから天理大学で科目履修し、この度もう一度免許申請を行ったわけです。

免許を取るまで足掛け8年の長い道のりでしたが、無事に請願成就してホッとしています。その時その時に思っていることの全ては叶わないかもしれません。でも、どんなに時間がかかっても、何かのタイミングで不意に現実になったりするから面白いですよね。

初任校で、「念ずれば花開く」とおっしゃった先生のことを思い出しました。心の底から念じて、実現のために行動し続ければ、目指していたことのうち、100%ではないかもしれませんが、何らかは本当になると私は思っています。

みなさんも何か本気で実現させたいと思ったことは、諦めずに、やり抜く勇気を!

今このメッセージを最も送りたい教育者がいます。読んでいるでしょうか?先生の熱い話を聞きながら大阪城を散歩したこと、私は忘れていません。先生の悪あがき、私ができることがあれば遠慮なく言ってくださいね。何の力もありませんが、せめて愚痴くらいは聞けると思います(笑)。また大阪城散歩しましょう!

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