私が日本語を教えているワケ

みなさんご無沙汰しています。台湾、台中の阿部です。

私が所属している明道中学国際部は先週無事コンサルビジットを終え、おそらく9月から正式にIBのDP、MYP課程をスタートさせます。もうすぐ始まる新しい挑戦に心配とワクワクが渦巻いている状態です。

そのコンサルビジットではDPの科目を担当する教師は面接を受けるのですが、私もDP Japanese Bを担当する教師として面接を受けました。その時、今までの教師人生を振りかえさせるような質問をされたので、そのことについて書かせていただきたいと思います。

「あなたは何のためにそのDPの科目を教えるのですか?」

これがコンサルビジットに来ていた先生から投げかけられた最後の質問です。想像していなかった質問に一瞬頭の中が真っ白になりましたが、口から発せられた言葉は以前の私からは考えられない言葉でした。

第二外国語教師としての再出発

私は台湾に来てからずっとランゲージスクールや大学などの非常勤教師として日本語を教えて来ました。目標は誰よりもいい授業をする、そして日本語が上手な学生を育てる、そして楽に楽しく勉強できる授業をするというものでした。そしてそのことにかけては誰にも負けたくないと思っていました。

私はお恥ずかしい話ですが、いつしか他の同僚の先生やその授業を見下すようになっていたようです。日本語学科の大学生は一週間のうち十時間以上日本語の学習に費やします。でもそのほとんどは質の悪いもので時間の無駄だと決めつけ、その質の悪い講義を担当している教師がまるで自分の教え方のおかげかのように学生の上達を褒めるということに我慢ができなくなっていったのです。今から考えると恐ろしく傲慢でわがままな考え方だったと穴があれば入りたい気分ですが、徐々に一人で教えることのできる環境に移りたいと考え始めました。

そんな時です。中高で第二外国語としての日本語を教えないかという話をいただいたのは。専門が日本語ではない中高生に割り振られた日本語の授業はたったの週100分、知り合いからは授業時間も足りないし学生の動機付けも薄い、そんな環境では学生は上手にならないし、あなたもきっと我慢できなくなるよとアドバイスをもらいましたが、それは望むところでした。難しい仕事の上、一人で立ち向かわなくてはならないとしても、うまくいけばすべて私の手柄で、私の能力が証明されることになるのですから。

この仕事の意味とは?

その後いくつかの出来事が起こります。その一つは東日本大震災です。台湾のテレビでも連日津波の映像や原子力発電所に関する報道が流され、鬱になってしまうのではと思ったぐらいです。いや、もしかしたら鬱になっていたのかもしれません。また日本の先行きに不安を感じると同時に、日本語教師は日本の国力を背景とした職業だと認識していた私は、この先仕事を失ってしまうのではと思い悩むようになりました。

また、AIなどのIT技術が進歩してくるとこれからは外国語なんて勉強しなくてよくなると報道されるようになりました。人に取って代わるにはまだ時間がかかるでしょうが、それでも外国語を学ばなくても、言葉を交わすことができるという将来は必ず来ます。

それにそのような報道をみた結果、学習者も減ることは容易に想像できます。それは語学の教師がいらなくなる世界を私に想像させました。これらの出来事は自分の仕事の意味というものを考え直すきっかけになったと思います。

MYPへの挑戦

そんな時、私はIBに出会います。実際教え始めたのはMYPからでしたが、正直教え始めた当初は本当に苦しみました。今までは全てを日本語の上達のために費やすという考え方でしたから、MYPのコンセプトを考え学生に問いかけなさい、ラーナープロファイルやATLを授業に組み込みなさいなどの話を聞いても、そんなことに時間をかけていたら、上手になるものも上手にならないというのが私の始めに抱いた感想でした。

ただその後も半信半疑でMYP式の授業に挑戦し続けると、私も見えていなかったものが見え始めただけでなく、思いもしなかった効果が見え始め、学生は私の想像を超えた形で上達して行きました。

今はラーナープロファイルとATL、学生の自律学習能力の向上をもっと授業に組み込めないかと奮闘しています。そして今私は思うのです。今教えている学生たちの母語は中国語で、英語も小学生の時から習っている学生ばかりです。学生や保護者から使用人口が多いこの二つの言語が話せればもう十分ではないかという話も聞きます。

そんな彼らにとって第二外国語の習得の意義はなんなのでしょうか。

私は現在世界の共通語となった英語より、日本語からの方が異なる文化への理解と寛容を、また壁を乗り越える力を学ぶことができると考えています。これはラーナープロファイルのオープンマインドとコミュニケーターにあたる力です。そしてこれを実践できるようになればどんな他者とでも付き合っていけるようになれるのではと思っています。もちろん日本語の習得を忘れてはいけません。習得したからこそわかることもたくさんあるのです。でも、それと同じように異なる文化への理解と寛容、または交流ということを教師も学生も念頭に置いておかなければならないと思っています。

最後に

「あなたは何のためにそのDPの科目を教えるのですか?」

コンサルビジットの先生からの問いに対し私の口から出た言葉は「他者への理解と平和」です。他者を理解し相手との間に線引きをせず遠ざけなければ、きっと争いは起こらないと言わないまでも減っていく、それが今の私の教育に対する目標です。

最後に告知なのですが、熊谷先生に感化されて私もブログを始めてしまいました。こちらではIBや教育に関わることを書かせていただいているのですが、私のブログでは主に日本語教育に焦点を当てた記事を書いています。もしよろしければご覧ください。

楽しく教え続けるために “色々な目を持とう”