挑戦を支える教師

みなさん、こんにちは。鈴木秀樹と申します。東京学芸大学附属小金井小学校という長い名前の小学校で5年生の担任をしています。私はEdmodoという無料で利用できる教育用SNSサービスのエバンジェリスト(伝道師)をしています。

変人

熊谷先生とはEdmodoの繋がりで出会いました。Edmodoを利用しているエバンジェリストの先生の集まりがあった時に初めてお会いしまして、「この人、変わってるなぁ。面白そう!」と感じたのでした。

恐らく熊谷先生も私のことを「この人、変わってるなぁ。面白そう!」と感じてくださったのでしょうね。それ故、ブログに誘っていただけたのではないかと思われます。

ただ、Edmodoの活用具合は私と熊谷先生とではずいぶん違うのではないかと思います。何せ私は小学校の教員で、熊谷先生と知り合った時は1年生の担任でした。そう、小学校1年生、まだ人間になってから6年しか経っていない子どもたちにEdmodoを使わせたのです。

もちろんはじめは親がかりです。お家の人と一緒にEdmodo上の私の書き込みを読んで、手伝ってもらいながら返信するような感じでした。それでも、子どもたちにとっては「アカウントっていうのがあるんだ!」「ぼくの名前が出るのか!」といったところから学びがありました。アカウントの概念を知ったわけですね。

また、保護者の方にとっても親子で「Edmodo体験」は良かったようで、こんな感想を抱いていただいたようです。
「こういうSNSなら安心だわ、いきなりLINEというわけにはいかないわね」
「Edmodoなら失敗したって、先生が見ていてくれるし」
失敗。そう、人は失敗します。そのことについて今回は考えてみたいと思います。

挑戦・失敗・後悔

みなさんも何かに挑戦してみてできなかったことってありますよね?

「試合で勝つぞ!」→負けました。
「テストで100点だ!」→取れませんでした。
「おかわりするぞ!」→満腹でムリでした。

そういうこと、ありますよね?

僕も山ほど失敗してきました。学生時代はずっと吹奏楽部(けっこうな強豪校でした!)でトランペットを吹いてきましたが、これについては本当に呆れるくらいたくさん失敗しました。

あの楽器、目立つんですよ。うまくいけば一番カッコイイのもトランペットですが、失敗すると一番ダサいのもトランペット。だいたい曲が一番盛り上がるところでトランペットが高い音でパパーン!って吹くことが多いわけですが、高い音って外しやすいんですよね。思い出したくないような失敗を山のようにしました。うまくいったことの方が多いはずですが、なぜか思い出すのは失敗することばかり。毎日が「天国と地獄」状態だったからでしょうか。

でも、そうやって失敗を繰り返すことで、僕はかなり強くなった気がします。どれだけ頑張ったって失敗する時はするんだから、とにかくやってみよう!大抵のことに対してそう思えるようになりました。それと、たくさんの失敗を重ねるうちにわかってきたのは「精一杯努力したのに失敗してしまったという時はあきらめがつくけれど、手を抜いて失敗した時はすごく後悔する」ということ。

僕の場合は本番が終わった後、メンバーに対して「外しちゃってごめんね」って思うわけですが、精一杯努力した時は「やるだけのことはやったのだから仕方ない」って思えました。でも、手を抜いてちゃんと練習しなかった時は「ああ、こんな結果になるなら、もっとちゃんと練習しておけば良かった。みんな、ごめん!」と思っちゃう。思っちゃうけれど、後の祭りなんですよね。どれだけ後悔しても本番はもう終わってしまっている。落ち込みましたね、そういう時は。

でもね、もっと後悔する時があるんですよ。ちゃんと練習しなくて失敗するより、もっと後悔する時が。そう、それは「挑戦しなかった時」です。「失敗しそうだな」と思って、そのパートを担当しなかった時、これは激しく後悔しました。なんで勇気をもって挑戦できなかったんだ。挑戦すればうまくいったかもしれないし、失敗したって死ぬわけじゃないんだから。それなのにどうして挑戦しなかったんだ。自分のバカ!意気地なし!おたんこなす!(なんだ、おたんこなすって…)

挑戦を支えるには

教師になって結構な年数が経っているのですが、この「挑戦すること」についての考え、少しずつ変わってきました。前は自分が教えている子どもたちを見ていて「挑戦する機会はあるのに挑戦しようとしない」子がいると、とにかく歯痒くて叱咤激励して何とか挑戦させようとしていました。

でも、徐々にそうは思わなくなりました。「この子が挑戦できないのはなぜだろう?」という方が気になってきたのです。

挑戦するのって、勇気がいりますよね。勇気はどこから湧いてくるか。心の中に確固たる熱い場所があって、そこから湧いてくるような気がしています。でも、心は傷つきやすくって、とても脆い。子どもたちが挑戦できない時、それは心のどこかが傷ついていたり、崩れかけていたりして、勇気を出す余力がないんじゃないか。そんな風に考えるようになりました。

そうだとすると、教師がすべきは叱咤激励ではないでしょう。子どもたちが安心できる場所を作ってあげること。子どもたちが落ち着ける環境を整えてあげること。まずはそういったことではないでしょうか。子どもたちに挑戦する勇気を持たせたいなら、勇気を持てる条件を整えてあげなければならない。そう思うのです。

特に、学びに何らかの困難を抱えている子どもたちにはそうした配慮が必要でしょう。例えば「読むこと」に困難を抱えている子に、何のフォローもなく「授業中、手をあげて教科書を音読する勇気を持て!」と言ってもそれはムリというものです。例えばタブレットの読み上げアプリを使わせてあげて「読むこと」を助けてあげる。まずはそういった配慮から入らなければならないでしょう。

最後に

終わりのところでようやく本題に入れました。(苦笑)

僕の勤務校は平成30年度の文部科学省「学習上の支援機器等教材活用評価研究事業」に採択されています。困りごとを抱えている子に対して、ICTを活用したどんな支援をおこなっていけばよいか、それをどう評価していけばよいかを研究していこうとしているところです。

少々宣伝モードに入りますが、7月14日(土)には品川のマイクロソフト本社で、教育×ICTでは知らない人のいない中川一史先生(放送大学)、発達障害児童への学習支援の第一人者である小池敏英先生(東京学芸大学)を招き、公開授業を含むセミナーを開催します。公開授業は誰がするか?僕なんですよね…。ヤバいです、かなり。

ICT に学びを救われる子はあなたのそばにいる ICT × インクルーシブ教育セミナー

まあ、それはともかく、この事業を遂行する過程で見えてきたことを、またこのブログで発信できればな、と思っています。乞うご期待!