「ほとんどない」のか「ほとんどある」のか?

あけましておめでとうございます。熊谷優一です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年は私にとって、国際バカロレア機構から日本のディアルランゲージ・ディプロマプログラム(いわゆる日本語DP)を実施している学校の言語学習を支援するリード・エデュケーターとして、高知県立高知国際中学校・高等学校を担当することになったり、引き続き「知の理論(Theory of Knwolde: TOK)」のプリンシパルイグザミナーを担当し、3月と9月に行われる採点標準化会議に参加しながら、新たなDP科目も採点官になったり、今春に発売予定のTOEFL Juniorの問題集の翻訳をしたり、いくつかの学校でTOEFL Junior講座を開いたり、インターナショナルスクールの立ち上げにも関わったり、これまでの人生を振り返り反省したり、新しい分野にチャレンジしたりと目まぐるしい一年でした。

また、11月に開催された「明日の教室オンラインセミナー」や「関西英語授業研究会 Harvest 2021年度総会」を始め、国際バカロレアの学びを保護者向け体験会など様々な機会にお声がけいただいた皆様、そして参加者の皆様、本当にありがとうございます。今年もたくさんのことに挑戦し、学び、よりわかりやすく教育と学習についてお伝えできればと思っています。

今年は中断していた「オトナキャラバン」などの勉強会をオンラインで再開できればと思っています。また、当ブログとは別媒体で有料マガジンを計画しています。「読書会」も好評でしたので、こちらも継続していければと思っています。

さて、当ブログは今月30日の更新を最後に約1ヶ月間の定期メンテナンスに入ります。その間の情報は公式twitterにて発信しますので、そちらをご覧いただければと思います。

この前、『時間はどこから来て、なぜ流れているのか』という本を課題図書にオンライン読書会を開いたときのことです。読み直していて、「宇宙にはほとんど物質がない」という箇所が引っかかりまして……。

私は宇宙を( )でくくって、世界や人生など別の言葉で置きかえてみても、ほとんどなにもないよりかは、ほとんど何らかで満たされているというふうに感じていたので、「はて?」と考え止まったのです。

皆さんは、どう思われますか?「ほとんどある」のか「ほとんどない」のか。宇宙は、人生は、世界は……っていう風に視点をずらしながら、お時間があるときに考えてみてください。そして、「ほとんどある」と考える前提には何があるでしょうか?「ほとんどない」と考えるにはどんな前提があるでしょう?

私は、まだまとまっていないのですが、この前『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』を読み直していたら、もしかしたら……なんて思い始めています。もしよかったらお手にとって読んでみてください。