点を繋ぐ:「〇〇を学ぶ」のではなく、「〇〇で学ぶ」

みなさんはじめまして、僕は尾花俊弥(おばなしゅんや)と申します。僕は筑波大学附属坂戸高等学校を2年前に卒業し、現在は立教大学経営学部国際経営学科に在籍しています。

今日は、①軽い自己紹介をさせていただき、②今学んでいる立教経営の“Business Leadership Program(BLP)”の話と、③2月16日(金)に行われた母校の研究大会で熊谷先生の授業を2年ぶりに受けて感じたことについて話したいと思います。

熊谷先生との出会い

自己紹介っていうほど僕自分について語れないんですが、熊谷先生とウマが合うくらいなので、彼に似た「シニカルさを持ち合わせている」というのが端的な表現でしょうか。怒られそう。笑 書いていて思い出しましたが、熊谷先生にはよーく「お前、小賢しいな!」って言われていました。笑

あと、これ抜きに語れないので、熊谷先生との出会いについて話しておきます。僕は浅見君たちの一学年上の代です。熊谷先生は僕が高2の時に筑坂に赴任しました。したがって高2の時から教わり始めた…と言いたいところですが、僕が熊谷先生に教わったのは3年の授業1つと卒業研究の添削だけなんです。

担任でも学年の担当の先生でもありませんでした。何となく自然に話すようになったといのが正直なところです。だから授業後とか、そういうインフォーマルな場での関わりが多かったです。そのひとつが『English Caravan』でした。これについては後述しますね。

そして最近になって、Facebookで再びコンタクトを取り始めました。1月にはそのご縁で、熊谷先生には僕の教えているクラスを見学してもらったのです。…ん?なんかおかしいと思いませんかみなさん?大学2年生が教えているの?…その通りです。単位の降りる、正式な学部の授業を、僕が講師として教えていたんです。いわば学生が学生に教えているってことですね。

卒業後の学び -大学で教える立場に立つ-

僕は今、立教大学経営学部で学んでいます。この学部のコア科目の一つに、Business Leadership Programという授業があります。ステータスによらず誰もが発揮できる、権限なきリーダーシップを育成する授業です。春学期にはクライアントがつき、PBLでビジネスプラン提案及びプレゼンテーションを行い、秋学期にはスキル習得がメインとなります。(詳細は学部HP(http://cob.rikkyo.ac.jp/blp/about.htmlをご覧ください。)

この授業の大きな特徴が、Student Assistant(以下SA)制度です。学生スタッフとして、教員と受講生の間の役割として、学生が一個下の学生に授業をしています。僕もそのスタッフとして、1年生に教える立場にいました。(余談:この間テレビ東京さんに取り上げていただき、インタビューを受けました。)

僕が半期教えていた内容は、論理思考とリーダーシップです。一口には語れない難しいものでした。受講生にとっては、春学期のクラスから改組されているので周りは知らない人ばかり。僕が教壇から質問しても、返事はゼロ。受講生同士が打ち解ける様子が見られず、毎週の授業が不安でなりませんでした。

しかし、僕は“敢えて”クラスに対して働きかけることはしませんでした。なぜなら、そういう状況で自分から行動すること、それこそがリーダーシップであるからです。リーダーシップを教える授業で、SAが可能性の芽を摘んでは言語道断だ、それがポリシーでした。そして、彼らはいつか動くと信じた結果、受講生の一部が懇親会を企画し、クラス全体で打ち解けることが出来ました。途中でクラスに来なくなる学生もゼロで、担当教員にも「珍しいよ」と言っていただきました。

このSA経験を踏まえて思ったのは、「人間って理屈で動かないんだな」ってことでした。簡単なことかもしれないんですけど、自分で考え、工夫して行きついた結果がそれでした。理屈で考えれば、集中させるために、授業中寝たら減点とか、いろんな工夫は出来ます。しかし果たしてそんなことでやる気は起きるでしょうか?それが望ましい学びの在り方でしょうか?理詰めで学ぶ活力が沸くとは、到底僕は思いません。僕のクラスが最後は良い形で終えられたのも、クラス会で楽しく遊んだ、その感情が、来週も教室に行こうと思うきっかけになったからだと思います。飽くまでも解釈ですが。

このように、SAとして自分がクラスを運営することを通して、僕は人が動く時ってどんな時?人ってどうやって成長するのだろう?などなど、人に関する興味がぐっと沸きました。これ聞いて、熊谷先生も驚くと思いますよ。こないだの筑坂の研究大会でも「お前高校時代、本当に“独り”だったもんな」って言われてるくらいですから。それくらいニヒリズム的で自分で精いっぱいだった僕が、人に興味を持つなんて…。

進化する授業

熊谷先生が放課後に開いていた『English Caravan』は今思うと、不思議な時間でした。「災害が起きたときに人間が優先するのは何か」「アートはどのように分類されるか」「お盆(信仰に関わる行事)は所属するコミュニティーでどのような機能を果たしているか」などなど毎回楽しいトピックで、何時間も話していました。その時々に、ベン図やレダーチャートを用いて考えたり、説明したりできるスキルも培えるようデザインされていました。

とはいえ成績もつかないし、単位も出ない、熊谷先生が(言ったらあれですが)勝手にやっている放課後の講座です。それでも『English Caravan』に集まる人が増えていったのは、その場が快適で守られている場だったからだと僕は思います。不慣れな英語でも、先生からモニターされることは決してないから、何回でも失敗できる。試行錯誤して学べる。そこに生徒は快適さを感じ、寄ってきたのではないでしょうか。それにみんな、考えたいんですよね。自分で考えて、みんなで共有する過程で、自分の考えをより確かなものにしてくことが英語でできるってみんなワクワクしていました。

この前筑坂の研究大会に行った時を思い出しても、同じことが言えます。2年ぶりに筑坂に行ったら、『English Caravan』は形を変えてグループワーク形式の『Project StudiesⅡ』という時間割の中のちゃんと成績や単位が出る授業になっていました。

その時のトピックは、Stanford大学でのスティーブ・ジョブズのスピーチの中から印象的なパッセージを抜き出し、それをリテリングするなら誰にするか?ペルソナを設定してマーケティングするという内容でした。どの生徒もなぜその文章を選んだのか、ジブンゴトに絡めてロジックが組めていて感心しました。

それ以上に驚いたのが、たくさん観覧者がいるのにもかかわらず自信をもって発表できる後輩の姿でした。彼らも僕と同じように、熊谷先生ないしPSⅡという場に安心感を覚えたんだろうと思います。

終わりに

なんか熱心に書いていたらすごい文章量になってしまいました。いつも通りクマユウから「長えよ!」とツッコまれそうな予感がします。

ここまで、筑坂と立教の学びを、教わる・教える側の側面で書いてきました。まとめると、僕は『English Caravan』を学ぶのではなく、『English Caravan』“で”学んだことが沢山あります。

今あの時を思い返しても「熊谷先生の授業デザインの、ここ使えそうだな」「こういう経験すると人は育つんだな」とか、どんどん繋がっていきます。今も僕の頭の中では、「熊谷先生の授業に引き込まれるのは何でだろう?」という、マネジメントにつながる興味が高まっています。こうして、高校時代の経験が大学で学ぶ今の僕にも生き続けています。

最後はジョブズのスピーチの言葉で締めたいと思います。この文脈も含めて。みなさんご覧いただきありがとうございました。

“You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.”