みなさん、はじめまして。北畠ららと申します。福島県出身で、現在は関西の私立大学の文学部4年生です。文化芸術を専攻しています。熊谷先生に声をかけていただき、ブログを書く機会を頂けたことを嬉しく思います。
同じ目線
熊谷先生と出会ったのは、2016年の内閣府青年国際交流事業です。熊谷先生は明治大学教授の森永由紀団長の下、ラオス団の副団長(以後、副団長と記させていただきます)を務めていました。
初顔合わせのときに副団長が宮城県出身だということを知り、同じ東北民(?)として親近感から緊張が解きほぐされたことを、これを書きながら思い出していました。副団長はそれ以外にも、親近感がわく要素が多々ありました。
最初は、年齢も離れているし、先生もしているから「先生と生徒」みたいな距離感ができちゃうかなと思っていたんです(人によって様々だと思いますが、私は「先生という肩書きのつく人=めっちゃえらい・常に下からみあげる存在」というイメージがありました)。でも副団長は、今まであった先生のなかで誰よりも「先生」らしくない方でした(笑)。きっと共感してくださる方は多いと思います。
副団長っていつも「団員と同じ目線」に立つ方なんですよね。副団長と話していると、変に心理的な距離感を意識せず、自分自身も素で話すことができていた気がします。副団長に出会って以降、「距離を詰めたい!」と思う人と話すときは、副団長の人との接し方を参考にさせていただいております(実は)。
ターニングポイント
私が内閣府青年国際交流事業に応募したのは高校3年生の春休み。高校生の皆さんも在学中に応募できるんですよ!その辺の経緯について書きますね。
この事業について知ったのは高校3年生の春休みです。きっかけは福島県のHPに載っていた募集要項でした。「旅行じゃ経験できないこともいろいろできそうだから、応募してみようかなあ~」くらいの軽い気持ちで応募しました。
2016年度はドミニカ共和国・ラオス・リトアニアの3か国の募集がありました。キリスト教美術に興味があったので、当初はリトアニア派遣を希望していましたが、合格通知とともに送られてきた派遣先の国はラオス……。どこにあるの地図で確かめるところからのスタートとなったのでした。
とっかかりはこんな感じでした。海外の文化を学ぶいい機会になることはもちろん、同世代のラオスの青年たちとの交流を通して私自身の視野を広げることできると、次第に思うようになりました。18年間地元でしか生きてこなかったことに少々の焦りを感じていたのは、福島以外の世界を知らないことに対する焦りでもありました。
参加してみて
派遣先がラオスになったため「キリスト教文化」という元々の目的は果たせませんでしたが、現在でも生活と仏教が密接にかかわりあっているラオスでの滞在経験は、ラオスの人々の生活に今も生きる伝統文化を肌感覚で知ることができる貴重な機会となりました。
ホームステイ期間があるのもこの事業の魅力の1つです。生活文化を密に体験できました。同じラオスの国でも、お世話になる家庭ごとに経験させていただくことは違います。ホームステイ後に派遣団員とそれぞれの家の体験を共有したときに、よりリアルなラオスの暮らしについて情報交換をして知ったことは、本や資料では得られないものでした。
また、現地ラオスでは、同世代の大学生とディスカッションや文化交流を行う機会が多々ありました。ラオスの青年たちは、その国柄を反映するように皆さん穏やかで温かな人ばかりでした。英語でのディスカッションがとんでもなく苦手な私でしたが、拙い英語を汲み取って理解しようとしてくれる優しさに何度も救われました。
日本に帰国後は、さらに多くの国の海外青年との交流もあります。地域も東南アジアから東欧、アフリカなど様々な地域から集います。私はここでも「文化」チームとして、各国の伝統文化の維持などに関する議論に参加しました。
はじめは、やはり英語が苦手という意識が強く、なかなか発言することに前向きになれませんでした。しかし、重要なのは「英語が苦手な私に対する(自分自身の)うしろめたさ」ではなく、「議論参加者の意見を聞いている、という姿勢の提示・自身の意見の伝達」だと何度も自分に言い聞かせました。副団長も前に振り返ればヤツがいるで書いていますよね。
英語が苦手な意識は最後まで抜けませんでしたが、それでも(だからこそ?)参加青年と意思疎通ができたときの喜びは大きかったです。また、事業を通してたくさんの海外青年と交流したことによって、参加前まで感じていた「世界との壁」の意識が薄れたかなと思います。
最後に
行動すると道は開けるし、道が開けると視野も開けます。応募当初の参加動機は小さな一歩でしたが、この小さな一歩を踏み出せた結果、自分が知らない世界を知るための大きな波に乗ることができました。そのため、この事業への参加は人生のなかで最も大きなターニングポイントの1つです。
やりたいことがある方にとっても、なにか新しい挑戦をしてみたいと漠然と思っている方にとっても、この事業は大きなチャンスとなると思います。まずは一歩、ぜひ踏み出してみてください(^_^)!
私はこの事業に参加してから、自身ができる事後活動について模索していました。今までやってきたことを活かして、私だからこそできる社会貢献活動ってあるかな…?と。
そして「東南アジア諸国での音楽普及活動」という答えに行きつきました。今度は事後活動と国際交流活動の関係についてお話したいと思います。また、お目にかかります。