『Most Likely to Succeed』上映会に参加して

乗り込んだのは仙台行きの航空機。そこから当ブログ(チノメザメ)でもお馴染みの阿部富子先生の運転で宮城県南三陸町にある志津川高校で『Most Likely to Succeed』という教育に関するドキュメンタリー映画の上映会を開催しました。

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。三連休の初日、志津川高校には、三陸新報に上映会が取り上げられたこともあり、私の親戚まで応援(?)に来てもらい、非常にやりづらい中始まりました。おじさんとおばさんは、みんなの前で、「あの優ちゃんが!」みたいなノリだったので恥ずかしくて仕方ありませんでした。

しかし、「あの優ちゃんが!」って思われるくらい、手のかかる子供だったので、「オトナになりましたよ」と思ってもらいたくて、ちょっとスカしすぎたかもしれません。

さて、今回は上映会に参加された鈴木千帆先生からいただいた感想を紹介します。鈴木先生は宮城の県立高校で養護教諭をされています。彼女にこの映画はどのように映ったでしょうか。

思考がかき回されるような心地よい感覚

南三陸町での上映会に参加しました。映画を見て、そしてその後のワークショップに参加した感想は、「思考がかき回される心地よい感覚を味わった」という一言に尽きます。

今、目の前にしている子供たちは、学力がさほど低いわけではないのに学ぶことを楽しめないでいるように思います。受験やテストに関係ない課題に対して最小限のエネルギーしか使わないこと(一歩上を目指さない態度)、何かが起こること、誰かがどうにかしてくれることをじっと待つ傾向が強い生徒たちに対して、うまく支援できないでいる自分にもどかしさを感じる日々です。

映画を見て、参加者の皆さんと話し合って、「何をどうしたら不協和音を調整し、有機的な学びの機会を作り出せるのか」という問いへのヒントを得ることができました。それは「思考を刺激する体験」「自分で答えを創る体験」を日常の生徒との対話の中で取り入れるということです。

自ら創りだす過程で気づくこと

今まさに私が体験したことが、生徒の興味関心を引き出し、自らやってみようというスイッチを入れる起爆剤になることを実感しました。振り返ってみると、文句を言いながら嫌々調べ学習に取り組んでいた生徒も、プレゼンテーションするときには、「私はこう考えました」ということを強調して話していたはず。

子どもにとって「自分で創ること・気づくこと」の中に、多くの学びがそこかしこに散らばっていて、特にソフトスキルの獲得につながると思いました。

『Most Likely to Succeed』の冒頭、母娘と教師の面談のシーンの娘の表情が印象的です。そこから自分が高校受験をするとき「大学進学率の良い高校に入るために勉強をする」「高校ではいい大学に入るための受験勉強をする」ということに反発したこと、看護大学で学んでいるときは「看護師の国家資格をとるための授業(ここは国試に出るから覚えるんだぞ)」に嫌悪感を持っていたことを思い出しました。

自分の声に耳を傾ける

この日一日、私はあの頃の自分の心の叫びが聞こえ続けました。「そんな勉強は自分でするから、今ここでしかできない学び、探究をしたいんだ!」という、私の心の叫びを再び耳にしたんです。

もしかしたら、目の前の子供たちも同じなのかもしれない。大人の期待・欲求に面と向かってノーは言わないが、煮え切らない態度でノーを突き付けているのかもしれない。今のままでは窮屈なのだということを、学ぶ楽しさなんて見いだせないのだということを。

また、「私自身が学びを要求している」のだと気づくことができました。一方で、自分が現場で悶々と考え、うまくいかないこと、うまくできない自分に腹を立て、どうすることもできない無力さから逃げ、いじけている自分もいました。

でも、今回、私の中で何かが再び目覚めたのを感じています。また新たな学びを得たことで光明が見え、また歩き出し、挑戦できる喜びを味わっているんです。

「まだまだ学びたい!成長したいんだ!」と感じている自分を実感することができました。このような様々なことを感じ、考えさせてくれたこの機会に感謝したいと思います。

最後に

再び、熊谷優一です。

この映画を上映するにあたり多大なるご協力をいただいた南三陸、気仙沼、そして出身者もみなさんに心より感謝申し上げます。また、お休みのところ、遠くから足を運んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

私はいつも思っています。恥ずかしながら、私には人前で堂々と伝えられる意識や考えは何もありません。ただこの映画を上映しただけです。誰かの情熱に届くかもしれない、点在する情熱同士が繋がるかもしれないという思いだけで、誰から頼まれたわけでもないのに余計なことをしています(笑)。

もう少し、もう少しだけ、「クマユウ、しょうがないなぁ」とお付き合いください。