犬は吠えるがキャラバンは進む vol.7-2 おいしさの限界値

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。

昨年2018年11月に「おいしさの限界点」というエントリーをリリースするやいなや、当ブログ(チノメザメ)にも書いてくれている私の教え子たちから次々に反論が届きました(笑)。

食の秋。熊谷がどうも食べ物のおいしさにピンときていないようなんです。

今回は「犬は吠えるがキャラバンは進む vol.7-2 おいしさの限界値 前編」に引き続き、夜遅くまで繰り広げられた「おいしさ」についての議論をお届けします。

食べ物のおいしさには限界があるという熊谷の主張に教え子たちが異論を唱えます。

おいしさは味覚を含めた五感以外にも、記憶や食するときの環境、心理状態など複合的要素が絡まり合って判断されるという話題から、続いていきます。

おいしさ値の誤差

浅見
仮に、「おいしさの値」みたいなのがあったとする。五感から得た情報のみを使って判断したおいしさは不変である。だが、その値に心理状態の値を加味した時に料理そのもののおいしさは増減する可能性があると考えてみたんだけど、みんなどう思う?
酒井
実は、皆の意見と同じく、オレも五感、そして過去や現在の心理状態なり、数えきれない情報でおいしさって判断されると思うんですよ。でも、なぜだかそれがすごく不思議なんですよね。オレは人間を生物的な観点で考察した時に、栄養摂取の効率化を図った結果、「味」が生まれたと今まで思ってきました。それは例えば、栄養のないものや毒はまずくて、栄養満点なものはおいしいみたいな。でも、実際はそんなことはなくて、虫は栄養満点だけど、色んな意味でおいしくないし、ラーメンは体に悪いけどおいしい。ということは、おいしいとは動物的本能では生まれず、やはり人間が持つ思考によって形成されるものではないか、と思うようになりました
鹿間
あさみん、いいね!あさみんの考え方は、誤差の考え方だよ。真値、今でいう語感から得られた不変の「おいしさ値」があって、心理状態という系統的誤差(偏る誤差)と、偶然誤差が存在して、オレたちが得る「おいしさ値」は常にその誤差が乗っかっているという考え方。

マルカン@花巻

クマユウ
この間、岩手県花巻市にある「マルカン」ってデパートの展望台レストランに行ってきたんだ。言っちゃアレだけど、何もかもそんなにおいしくないわけ。でも花巻市民にとっての存在意義や、いったん倒産した後の復活ストーリーを知っているから、そこで食べたくなるし、そこで一緒に誰かと食べられるだけで満足度が高かったんだよな。でも、別にそんなにおいしくないってのは変わんないんだけど。
クマユウ
クマユウ
鹿間
存在意義や復活ストーリーって考えると、思考または知識もおいしさに影響を与える可能性は大いにあるってことになりますね。
クマユウ
そういえば、オレたちの体の状態によっても味覚は変わるって聞いたな。外的要因、気温とか湿度とか、高度とか、そんなのによってもおいしいって思えるものは変わるってさ。
酒井
「おいしい」って、こんなにも難しいことだったんですね。
クマユウ
おいしさって、カバーしている学問分野が本当に広くて面白いなぁ。

ハンバーグ定食の思い出

私が子どもの頃は気仙沼に一件しか洋食屋がありませんでした。もう店がどこにあったのかも、その名前も覚えていませんが、年に一回そこに連れていってもらって、ハンバーグ定食を家族で食べたことは今もはっきり覚えています。そもそも外食する文化がなかったので、唯一の外食体験であったハンバーグ定食は尊い思い出です。

おいしいか、おいしくないか、そんなことどうでもよかった。その特別感に私は胸躍らせていました。「ハウス食品名作劇場シリーズ」や「トムとジェリー」でよく見かけたコーンポタージュやチーズが実においしそうでしたよね。だからハンバーグ定食についてくるコーンポタージュやハンバーグの上にとろりと溶けたチーズはまるでおとぎ話のようでした。

当時は洋食はおろか、肉もめったに食べられませんでしたし、おばあちゃんが作る茶色い料理とはうってかわって、鮮やかな色の洋食は幼心に憧れていたものです。あれから40年。その憧れが色あせることはひとっつもないなぁ。

みなさんにもそんな思い出の食べ物ありますよね?

最後に

かこさとしの「カラスのパン屋さん」を読んで、地元のパン屋さんで一日パン屋体験を勝手にさせてもらって、ケーキのおいしそうな見た目にもかかわらず、実際食べてみたらそうでもなかったという話が今回の議論の元になっています。


教え子たちとの議論を通して、何十年も前の出来事をたくさん思い出しました。あんなに洋食に憧れて、ばあさんが作る料理を不服に思っていましたが、ばあさんがあの世の行ってからは、もうあの甘辛い茶色い料理の数々が食べられないんだととても残念に思います。

きらず煎り(おから煎り?)食べたいなぁ。おいしさって、その瞬間ではなく、遠い未来にも感じることができるのかもしれません。