行動することなく失敗も成功もあらず

チノメザメをお読みの皆さん。初めまして、立野温(たての すなお)と申します。ええ、そうです。これは本名です。現在、筑波大学物資源学部の3年生で、人並みに上下に波のある人生を送っております。

奇妙な運命

私は熊谷先生の生徒でもなければ、筑波大学附属坂戸高校の生徒でもありません。熊谷先生のことを知ったのは、「Global Village」という昨年新設された筑波大学の寮で同室になった鹿間謙伍くんと夜遅くに彼と進路について熱い議論を交わしていた時でした。

立野
イギリス留学に行くんだけど、お金がめっちゃかかるじゃん。で、トビタテJAPANっていう奨学金に応募しようと思うんだけど、留学計画書に書くネタがなくてさ……。
鹿間
まずなんでイギリスなんですか?なんで日本じゃダメなんですか?
立野
哲学が学びたくてさ。イギリスって西洋哲学の本場だし……。
鹿間
なんで西洋哲学なんですか?東洋哲学もいいと思いますけど。
立野
あっちでやってるPhilosophy Pubに興味があってさ……。

そんな、「何も考えてないんじゃないの?」とでもいうような、鹿間くんのトゲのある詰問を受けていると、だんだん自分のプランや考えがかなり浅いことに気づかされてきて、その場で少し考え直しました。

その時思い浮かんだのが、「Philosophy Pubで学んだ大衆向けの哲学思考を、帰国後に大学で応用することで、批判的視点や考え続ける強度を大学生に広めよう」というものです。これは結局、留学計画書に書かれることはなかったのですが、このブログに私がいるキッカケにはなりました。

「規模は小さいですが、似たようなことをやっている人なら知っています」

そう言った鹿間くんに高校の時の先生を紹介してもらいました。それが熊谷先生です。早速、熊谷先生にメールをして、筑波大学にIB関連の会議でいらしたときに、図書館に併設されたスタバでお会いしました。何とも奇妙な出会いでした。

ビジョンなき行動

私は、2017年の7月から12月中旬まで約5ヶ月、フィリピンのアテネオ大学で一学期間の交換留学をしていました。現地では、英語で行われる大学の授業を受ける一方で、受講していた授業が4つだけだったこともあり、好きなことができる時間が日本にいるときよりも長く取れていました。フィリピン国内を旅行したり、スキューバダイビングの資格をとったり、マレーシアやタイなど、国外旅行にもよく行っていました。

その中で、よく頭に浮かんだ言葉があります。「何でここにいるんだっけ?日本にいる学生たちは毎日勉強しているのに、俺は旅行しまくって、一日中寝て。酒飲んで。何しているんだろう?」

これに似たようなことが日本で生活しているときにもよくありました。「何で大学にいるんだっけ?なんで勉強しているんだろう?サークル行って。授業サボって一日中寝て。早朝3、4時までお酒飲んで。夕方まで寝続けて、バイトして」

思い起こしてみれば、フィリピン留学に行こうと決めた時も、明確なビジョンがあったわけではなく、「ただ、行きたいから」という直観以外の何物でもありませんでした。何も決めなくても、実際に行ってみたら現地で何かを得るだろう。ただ、今日を必死に生きていけば必ず成長できるだろう。そんなスタンスでいいと思っていました。その結果、まんまと目的を見失うことになってしまいました。

行動とビジョン化

そんなフィリピン留学での経験から導き出した自分なりの答えが、“直観を第一に動いて、その直観を洞察し、最後にビジョン化する”というものです。最初は憧れや”好き”、”嫌い”といった直観から動き始めて、行動しているうちになぜそれが「快」なのか、なぜそれが「不快」なのか、この行動によって何が得られるのか、何を得たいのか、直観の生まれた源泉について洞察し言語化し、そうして最後にその行動を解釈する段階がビジョン化です。

”やりたい”も”やりたくない”も始めたきっかけは直観だったのではないでしょうか。私は今、大学で教育を受けていることに疑問を感じていますが、入学時は、面白そうで、刺激に溢れていそうで、やってみたいと思って入ってきました。これが直観ベースの行動です。

”やりたい”はなぜやりたくて、”やりたくない”はなぜやりたくないのか。例えば、大学のレポートを不快に感じる、という現場があったら、それはなぜなのか突き止める。レポートのトピックが好きでないのか、講義が気に入らないのか、まず学部が肌に合わないのか、そもそも大学が嫌なのか。大学が気に入らないなら中退するしかないんでしょうが(笑)。このプロセスもビジョンに繋がるような立派な言語化です。

仮に、直接の原因が「講義が気に入らない」だとします。ここからは、あえて”やりたくない”の原因にはここではもう目をつむります。ここで重要なのは、なぜそれを”やりたい”と思ったのかです。講義の名前を見て自分の「得たい知識を得られる」という期待があって、やりたいと思ったとします。するとここで議論すべき問題は、「いかにしてその”やりたくない”講義の中で得たい知識を得られるか」にシフトします。つまり、”やりたい”を無理やりにでも見つけ出し、意思決定をする。これがビジョン化です。

このように、「なんとなくやってみたい(直観)」から行動し、その行動の原因を言語化して、自分の都合のいいように解釈・ビジョン化する、一連の流れがポジティブに回っていることにお気づきいただけたでしょうか。行動を始めるときに必ずしも目的は必要ではないし、やりたくないことはやりたいに変えられる。私はこの行動プロセスを繰り返すことで、立ち止まる暇もないくらいに自分に対してタスクを生み続ける好循環を作ることができるようになりました。

終わりに

「行動してみないと、失敗も成功もしない」といったような言葉をよく耳にしますが、本当にその通りだと思います。しかも、リスクの大きい挑戦は若い時にしかできません。

そんな中で、「親の都合、親の期待」を勝手に忖度することによって能動的な動機を自ら妨げてしまうこどもたちが少なくない現状にやるせない思いを抱きます。

「サッカーがしたい」、「英語が話せるようになりたい」、「留学に行きたい」、そういった子どもたちの心の中から生まれた能動的でエネルギッシュな想いやビジョンを、「それを学んでどうなるの?」などと言い聞かせて、目的がないからダメだ、と押さえつけてしまうのはもったいないことです。先のプロセスにもありましたが、直観に従うこと。

これが初めの一歩だと私は思います。