予防注射との闘い

先日、A型肝炎/B型肝炎の予防接種を受けました。注射が大嫌いな私ですが、今回ばかりは打っておこうと思っております。なぜ?って???

実は、2018年7月下旬から8ヶ月間、「日本語パートナーズ」というプログラムに参加し、インドネシアの高校で日本語アシスタントをすることになりました。今回は、私がインドネシアに興味を持った原点のお話をさせていただきます。

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筑坂卒業生の古井愛さんが寄稿してくれました。

上記のエントリーで書かせていただきましたが、私は高校3年生の時にインドネシアへ1年間留学をしていました。もう3~4年前くらいになりますが、少しだけお付き合いください。

1年間の留学は、葛藤の連続でした。新しい環境、言語、文化、宗教、価値観に触れる毎日は刺激的でしたが、時にストレスとなり、部屋で号泣したこともあります。

様々な壁が立ちはだかりましたが、私にとって一番の壁は「体重増加」でした(笑)言いたくないですけど、帰国時には、10kg程太っていました。英語もインドネシア語もままならなかった私が、最初にできたインドネシアの人々とのコミュニケーションは、「食べること」でした。

美味しくご飯を食べると、喜んでくれ、おかわりを持ってきてくれます。(風邪を引いた時に、たくさん食べて元気になれ〜と揚げ物やご飯を持ってきてくれた時は、お願いだからそれ持って帰って〜〜と思いましたが……)。また、インドネシアの友達が日本人は辛いものが食べられるのか、「coba makan(試しに食べて見て〜)ってニヤニヤしていたのを思い出します。

食べた後に、下痢に気をつけてねって言われましたが、言うの遅いだろって!!私のもりもり食べる反応がおもしろかったのか、言葉が通じなくても、なんだかんだで楽しい毎日でした。

学校生活

私が通った現地の高校は、SMA KORNITA IPBという大学附属の高校でした。毎日、6時半頃に家を出て、朝の授業に参加します。朝の授業は、宗教の授業など曜日によって異なります。私は、ムスリムのクラスにいる事が多かったのですが、クルアーン(イスラム教の聖典)を読む練習だったり、大学生の話を聞いたりしていました。

クラスは文系に所属し、テストもしっかりと受けていました。最初は、正直、座っているだけの日々でした。先生やクライスメイトが話すインドネシア語が子守唄に聞こえることも、たびたびありました。それでも朝から晩まで、インドネシア語にどっぷり浸かり、必死に勉強していくうちに、何とか授業にはついていけるようになり、みんなとコミュニケーションをとることに不自由はなくなりました。留学期間中、鬼のようにノートとペンを使いました(笑)。こんな必死に勉強したのは初めてだったかもしれません。

一方で、私は不安でした。今でこそインドネシア留学は私の原点になっています。でも、それが今後の私の人生でどう繋がっていくのか、つなげていけるのか、その当時の私はうまくとらえきれていなかったからです。

自分自身との対話

留学に限らないと思うんですが、何事もやって終わりじゃないんですよね。そのことをどう理解し、咀嚼し、応用し、活かしていくのか。しっかりと振り返らないといけない。そこが大切だと日々実感しています。手を抜くと、ただの一回こっきりのイベントになっちゃうから。

でも、それは案外しんどい作業です。正直なことを言うと。私もまだ言語化しきれていません。クマユウからは、「そのプロセスはネクラなお前には慣れたもんだろ」なんて言われるんですが、自分と向き合っていると、何だか自分がスカッスカな人間に思えてきて……。それでも、「自分と対話することをあきらめるな」と、あの赤鬼は言います。

自分がどう見られたいとか、思われたいとか、余計なものを取り除いていく過程で感じる「自分の空っぽ感」を超えたところに、自分という人間の純粋が見つけられるのを待っている。くそ、クマユウ、いいこと言うじゃないか!嫌い!!!!でも、なるほどです。それが新しくなったこのブログのタイトルにあるように、「チノメザメ(知の目覚め)」なのかもしれません。

大学にはインドネシア人留学生が多くいます。また、冒頭で話したようにまたインドネシアに派遣させていただく予定です。「繋げよう!なんとかしなきゃ!」と思わなくても、自然に繋がっていく縁があるんだな〜と実感しています。必然な出会いが多いと認識していたけれど、縁って本当に有難いと思います。

あれ、書いていて思ったんですが、もしかして私、そうなるように動いているんですよね。私はやっぱりインドネシアとインドネシアの人たちが好きで、関わり続けたい。その気持ちは今も昔も変わらない事に今回気付かせてもらいました。

最後に

今回の派遣は、東ジャワ地域です。東ジャワへの長期滞在は始めてなので、新しい経験ができることを楽しみにしています。次回は東ジャワの魅力や生活などについて寄稿させていただきたいと思います。

今度またインドネシアに行って、私がどんな言葉で、インドネシアのことを、インドネシアと私のことを語るのか楽しみにしているとクマユウは言います。が、一番楽しみなのは私自身かもしれません。今度は学ぶ側ではなく、日本語学習者をサポートする側なので、立場が異なります。私は何を感じ、何を掴み、「私のワクワク」を皆さんに伝えられるでしょうか。

ここまで読んでくださりありがとうございました。またお目にかかります。古井愛でした。

Terima kasih banyak. Sampai jumpa lagi.