ネクラトラベラー:サイゴン1997 vol.1

探り合って 探せなかった
求めあって 虚しかった

思いかげず 巡り合う
思いがけず

日常を離れた旅の中で自分では思いもしなかったステキな人や、言葉や、心揺さぶられる経験と出会うことがあります。みなさん、こんにちは。熊谷優一です。今回は私の人生観に決定的な影響を与えることになったベトナムへの旅について書こうと思います。

興味すらなかった国のこと

あれは今から23年前になりますか。師走に入ったばかりのある夜のことでした。大学時代の友人から突然電話がありました。飛行機の離発着のアナウンスが聞こえたので、空港からかけてきたんだと思います。彼女は非常に興奮しており、とにかく私にベトナムに行けと勧めるのです。気圧された私はその口車に乗せられて、まんまと飛行機とビザの手配をしました。当時ベトナムはビザがないと入国できなかったんですね。

教員一年目だった私はガッコウに対してどうもスッキリしない思いを抱えていました。ベトナムという当時はまだ情報も少なく、未知の国に何か日常を忘れさせるほどの強い刺激を求めたかったのかもしれません。

ベトナムについて私が知っていることはあの悲惨な戦争のことだけでしたし、当時はベトナムは国際社会からある意味孤立しており、貧しいとかボートピープルとか以外の話はあまり聞いたことがありませんでした。行くって決めるまで、どんな言葉が話されているのか、どんな食べ物を食べているのか、どんな音楽を聞いているのか、その国の人々の暮らしや文化について興味すらなかったことに今、驚いています。

サイゴンの夜はふけて

タンソンニャット空港に降り立ったのは深夜だったと思います。機体は高度を徐々に下げながら、窓から夜に滲むオレンジ色の灯りの粗密を見せました。相当蒸し暑そうだと気づいたのは飛行機が着陸してすぐに窓が曇ったからです。

深夜に到着することもあり、一晩目の宿だけビザ発給を手配してくれた旅行会社を通じて予約し、空港まで迎えに来てもらいました。そういえば、1997年はまだインターネットは電話回線でしかつながらなかったので、速度も遅かったですよね。ネットで何かを買うとか、予約するといった行動様式を人々が取るようになったのは2000年代に入ってからだったと思います。

空港からホテルまで車はHONDAと呼ばれるカブの群れに囲まれました。国民総暴走族かと思えるくらいの無数のカブの流れに阻まれ、立ち往生することも度々ありました。ヘルメットを被ることもなく、夜中に家族全員(ちっちゃい子も入れて5人乗っていたと思います)が一台のカブで街を往き交う様に私はカルチャーショックを受けました。

サイゴンの朝は明けて

私がその時、宿泊したホテルはファングーラオ通りに面していました。確かバックパッカーが集まるデタム通りと交わるところにあったと記憶していますが、もうそのホテルがなくなってしまったので定かではありません。それほどこの20年のサイゴンは様変わりしました。

ベトナムでの初めての朝は穏やかという言葉には程遠く、早くから喧騒に包まれていました。朝ごはんを食べに通りに出てみると、歩道に並べた簡易テーブルにお風呂で使う椅子に座ってフォーを食べたり、屋台でお麩のようなフランスパンに思い思いの具を挟んだサンドイッチを頼んだりする人々で賑わっています。嗅いだことのない街の匂いに私はいささかたじろぐも、5000ドンときちんと値段が書かれているのに安心し、牛肉のフォーを食べてみることにしました。

別にそれが食べたかったわけではなくて、指さして頼めるのがそれしかなかったからです。未知なる言語で書かれたそれが何を示しているのかわからない状況で、それを食べている人を見て、なんでかんでこれはフォーだろうと当たりつけただけの話です。路上に客席を設けてくれてありがとうと思うと同時に、当時の為替レートでは日本円にして30円とか40円でこのレベルのフォーが、しかも路上で食べられることに感激しました。

中休み

そのフォーの店は値段を明記していましたが、すべての食堂や屋台が値段を示しているわけではありませんでした。値札を見て買うとうことに慣れていた私は、買い物するたびに交渉しなければいけないことを面倒くさいと思うのかと思いきや、むしろそのやり取りが楽しいって思う自分に気づきました。

日本円に換算すると幾ばくでもないのですが、適正価格を知らないで買い物をしたなら、ベトナムの人に物の価値がわからない奴だと思われるのがどうも悔しかっということもあり、レックスホテルの向かいにあるタックスデパートの中のスーパーで物価と品物の質を見に行ったりして交渉する際の参考にしました。

そうすると英語ではなく、ベトナム語がどうしてもある程度できないといけない。というので、せめて数字は言えるようにと、普段から持ち歩いている小さな手帳にそこら辺にいる子どもたちに話しかけて教えてもらったり、ネクラで人見知りとは思えないような行動を取ります。やっぱり何かに興味関心を持ってしまうと、色んなことが二の次になってしまうのでしょうね。

次回は、そんな私がベトナムで知り合った人たちや出来事の中から今の私を下支えしている価値観について書きたいと思います。