ToKtober Fest 2020:僕は、そして僕たちはどう知るのか

生徒・保護者向け -

街角は様々な問いで溢れています。本屋さんに並ぶ書籍、アーケード内で聞こえてくる音楽、やがて暗黙の秩序が生じる無秩序な人の流れ、商店街で交わされる一見無意味な会話。普段はなんとも思わないことがふと気になりだしたら、それが私たちの「知」が目覚める合図です。

道後温泉でワーケーション

先日、ワーケーションの予行練習に道後温泉に行ってきました。「知の理論(Theory of Knowledge:TOK)」という国際バカロレア機構が提供する高校生向けのディプロマプログラム(DP)の世界必修科目になっている科目の評価の約8割を占めるエッセイをオンラインで採点したり、文科省のIB教育推進コンソーシムのオンライン会議に出たり、仕事をしながら束の間の休暇を満喫しました。

オンライン授業も滞りなくできるような環境、教える側と学ぶ側のスキルやマインドセットも整いつつありますし、ネット環境さえあればこれからセンセイの仕事の一部はリモートで十分に可能だと確かな感覚を得ることができました。私はオンライン授業がもっともっと充実し、日本だけでなく世界中の魅力ある授業を都会に住んでいようと田舎に住んでいようと受けられるようになるといいなと願っていますが、となると学校に通うことの意味を再定義しなければいけませんよね。この話はまたいつか書こうと思います。

というわけで、今回はワーケーションに訪れた道後温泉で考えたあれこれについて書きたいと思います。

道後温泉本館の湯船にて

道後温泉本館は運良く空いていて、ゆっくり湯船に浸かることができましたが、私の頭を悩ませていたのはロッカーの鍵の札でした。みなさん、写真をご覧ください。これ、何て読むと思います?

「お」にしては書き方が独特だし、記号にしては脈略がわからない。何と読むのが正しいのか。私はずーっとこのことを考えたのですが、結論が出ず、湯船を出て、ロッカーに鍵を差し込みました。

あれ?なんだ!「46」じゃん!札に穴が空いている方が上だと思いこんでいたせいで、とんだひとり上手を演じてしいました。道後温泉にワーケーションなんて気取って言った自分が恥ずかしい。こんなんだから、「人間としての最低限を下回っている」って言われるんですよ……。

僕は、そして僕たちはどう知るのか

現行のTOKの授業では、「知の領域:Areas of Knowledge」と「知るための方法:Ways of Knowing」の枠組みから、「私(たち)が知っていると主張することは、どのように知っているのか」について考察します。

知識の領域 知るための方法
□数学

□自然科学

□人間科学

□芸術

□歴史

□倫理

□宗教的知識の体系

□土着の知識の体系

□言語

□知覚

□感情

□理性

□想像

□信仰

□直観

□記憶

「何を知るのか」だけでなく、それを「どのように知るのか」についても焦点を当てているのがこの科目の面白さだと私は思います。そこが認識論とリンクするところです。また、自分や自分が所属している集団の認識特性が見えてくると、自分や自分たちの認知における個性が見えてきます。「学びの過程はすべてセラピーである」と私が考える所以です。

私は常々思っていましたが、何かを知るという過程において視覚が重要な役割を果たすようです。しかしながら時として目から入った情報は私が何かを理解しようという時にバイアスになる可能性を含んでいます。上記のロッカーの鍵の札もそうです。穴が空いている方を上だと認識したことによって、誤った解釈をもたらしました。TOKが8つの「知るための方法」に知覚を位置づけている理由を身をもって納得できた瞬間でした。

最後に

このことは空間を認識する概念を私は知っていることを含意します。上下、前後、左右を私たちは認識しますが、その基準は他の誰でもない自分自身です。しかしながら、空間の解釈は起点をどこに置くのかで異なりますよね。自分自身がいつも基準ではない。中心はいつも自分だと思って見る世界と、他の人が中心である世界では見える景色は違うかもしれません。

そういえば、道後温泉駅前のスタバで人の往来をそぞろに眺めなら、普段は読まないような小説を読んでいたときのことでした。「Far east is west.」という文が目を捉えます。これって、球を前提にした主張ですよね。だから巡り巡って東に行けば、現在自分が見ている空間でいうと西の方に至ると。しかしですよ、基準を設けなければ、西も東も北と南も、そもそも存在できません。

そうか!だから「0」なんだ!存在しないことを「0」という数字で存在させていることの矛盾を感じていると前に書きましたが、それは矛盾ではないのですよ。便宜上の基準なんです。とりあえず、基準としてここを「0」とするよって。それから世界を考えてみよう、説明してみようって。

全く数学ができない私のこの解釈が正しいのかということはさておいて、そう思ったらなんか色々と腑に落ちました。そして猛烈にもっと「0」のことが知りたくなって、チャールズ・サイフェの本を買って読み始めました。

そういえば、紀元前、紀元後◯◯年ってありますけど、年表に0年ってないですよね。生命において「0」は何を意味するのでしょうか。知れば知るほど面白くなって、渡辺慧の本にも手を出してしまいました。きっと次は私に全く素養がない物理に繋がっていくんだろうなと悪い予感がします。手を出すべきではなかったかも。私程度の人間にもわかる優しい言葉で誰かこの世界のことを一瞬のうちに教えてくれませんかね?