みなさん、こんにちは。「ラオスで私も考えた:田中慶太の場合 vol.1」に続きまして、田中慶太がお話しさせていただきます。内閣府の国際交流事業でラオスを訪れ、何を学んだかについてです。
早速、はじめますね。
ラオスがケニアへつながるストーリー
「ラオスがケニアへつながる瞬間」
上の言葉を見ると、とてつもなくぶっ飛んでますよね。一見すると、何の関わりもない国同士ですが、ここにストーリーが隠れています。
そもそも、私は3年の夏ごろから1年ほど留学を計画していました。でも、いろいろな国に興味がありました。アフリカに行って貧困問題を学びたい、東南アジアに行って現地の言葉を学びたいといった感じに。
そのため、ラオスを訪問するにあたって、1つの目標を立てました。それは、「将来の夢を見つける」ということです。でも、正直なところ期待なんかしていませんでした。将来の夢を見つけるのは難しいですからね。だから、「留学先を決める」ことを最低目標としてラオスを訪問することにしたのです。
飢餓のある貧困
あれは、在ラオス日本大使館を訪れたときのことでした。現地に赴任している参事官が、ラオスに関する講義をしてくだいました。その中で、ある言葉を放ったのです。
「ラオスは飢餓のない貧困」
私は、この言葉を聞いたその瞬間、ケニアへの留学を決意しました。私にとって、全く新しい概念です。しかし、それと同時に明らかになったことがあります。
「飢餓のある貧困」を見たことがないということです。いわゆる、一般的な貧困問題のことです。そこから、それを実際に自分の目で見て考えを深めたいと思いました。
まさに、ラオスがケニアへと繫がった瞬間でした。
立場の違い
ラオス訪問を通じて学んだことの1つに、立場の違いが大きな影響力を持つということがあります。
ラオスは現在、発展中の国です。発展の功罪として、環境破壊はよく問題になりますよね。もちろん、私はラオスを訪問するまで、経済発展は環境に悪影響をもたらしていると考えていました。
しかし、大学で環境に関する講義を受講したとき、環境保護は十分として発展を推し進めていることを学びました。環境保護を重視する者、発展を重視する者、まさにこれこそ立場の違いから生まれる主張の相違です。立場の違いは、主張さえも変えてしまうのです。お互いの立場と主張を理解する重要性を感じました。
また、私は副団長との関係にも立場の違いを見ています。「ラオスで私も考えた:田中慶太の場合 vol.1」で副団長に対してリスペクトの念を表明しましたが、一方で、私は心底思います。副団長の生徒でなくてよかった、と。というのも、高校時代、私は先生と全く関わろうとしない空気みたいな生徒でしたから。「副団長と団員」という関係でなく、「先生と生徒」という関係で出会っていたら、私が副団長を見る目もきっと違っていたと思います。
Keep on thinking
「ラオスで私も考えた:田中慶太の場合 vol.1」にも書きましたが、私のラオス訪問の目的は現地の人との関わり合いを通じて、貧困問題について考えることでした。様々な角度からラオスを見て、本当に多くのことを学ぶことができました。しかし、学びのゴールとして、どのような発展が必要になるのか、自分がどのように関わっていくべきかということまではわかりません。これ自体、答えのない問いだとも思います。
その一方で、多くのことを学び考え続けることで、新たに得るものが多くありました。現に、ラオスに行く前と後では違った風に考えることができ、ケニアへ行くという決意ができたことがその証明です。
また、ラオスから帰ってきて、自分自身についても考えるという癖がつきました。すると、あれよあれよと自分の中の違和感に気付くようになります。これまでやってきたことが、実は自分の興味がないことだったと気付くこともありましたし、全く新しいことに興味が沸いてくることもありました。その結果、今ではやりたいことが多すぎて困っています。
考えることはとても骨の折れる作業ですが、本当にやりたいことを見つけるには必要な作業だと身をもって実感しました。と同時に、これまで自分のことを考えずに社会のレールに沿って生きてきた、自分の愚かさにも気づきました。周りの目ばかり気にして、自分と向き合っていなかったのです。
「好きな時に、好きなことをする」
今ではこれが自分の信念です。やっぱ、楽しんだもん勝ちですよね。
最後に
この内閣府の国際交流事業でラオスへ行ったこと、副団長を含めたくさんの方に出会えたことは、私の人生において、重要なひとつのターニングポイントとなりました。確実に、人生観が変わりました。
私は、この9月からケニアへ留学します。このようにたくさん学び、大きく変化した自分が全く見知らぬアフリカの土地で何ができるのでしょうか。それが、楽しみで仕方ありません。全力で考え抜き、全力で行動する。そんな、留学を目指したいと考えています。
最後に、長らくお付き合いいただきありがとうございました。また、みなさんと会えるように成長して戻ってきます。以上、田中慶太でした。