みなさん、こんにちは。熊谷優一です。
昨年2018年11月に「おいしさの限界点」というエントリーをリリースするやいなや、当ブログ(チノメザメ)にも書いてくれている私の教え子たちから次々に反論が届きました(笑)。
今回は「犬は吠えるがキャラバンは進む vol.7-2 おいしさの限界値 前編」に引き続き、夜遅くまで繰り広げられた「おいしさ」についての議論をお届けします。
おいしさは味覚を含めた五感以外にも、記憶や食するときの環境、心理状態など複合的要素が絡まり合って判断されるという話題から、続いていきます。
おいしさ値の誤差
マルカン@花巻
ハンバーグ定食の思い出
私が子どもの頃は気仙沼に一件しか洋食屋がありませんでした。もう店がどこにあったのかも、その名前も覚えていませんが、年に一回そこに連れていってもらって、ハンバーグ定食を家族で食べたことは今もはっきり覚えています。そもそも外食する文化がなかったので、唯一の外食体験であったハンバーグ定食は尊い思い出です。
おいしいか、おいしくないか、そんなことどうでもよかった。その特別感に私は胸躍らせていました。「ハウス食品名作劇場シリーズ」や「トムとジェリー」でよく見かけたコーンポタージュやチーズが実においしそうでしたよね。だからハンバーグ定食についてくるコーンポタージュやハンバーグの上にとろりと溶けたチーズはまるでおとぎ話のようでした。
当時は洋食はおろか、肉もめったに食べられませんでしたし、おばあちゃんが作る茶色い料理とはうってかわって、鮮やかな色の洋食は幼心に憧れていたものです。あれから40年。その憧れが色あせることはひとっつもないなぁ。
みなさんにもそんな思い出の食べ物ありますよね?
最後に
かこさとしの「カラスのパン屋さん」を読んで、地元のパン屋さんで一日パン屋体験を勝手にさせてもらって、ケーキのおいしそうな見た目にもかかわらず、実際食べてみたらそうでもなかったという話が今回の議論の元になっています。
教え子たちとの議論を通して、何十年も前の出来事をたくさん思い出しました。あんなに洋食に憧れて、ばあさんが作る料理を不服に思っていましたが、ばあさんがあの世の行ってからは、もうあの甘辛い茶色い料理の数々が食べられないんだととても残念に思います。
きらず煎り(おから煎り?)食べたいなぁ。おいしさって、その瞬間ではなく、遠い未来にも感じることができるのかもしれません。