ToKtober Fest 2021: 一個のリンゴ

街角は様々な問いで溢れています。本屋に並ぶ書籍、アーケードで聞こえてくる音楽、やがて暗黙の秩序が生じる無秩序な人の流れ、商店街で交わされる一見無意味な会話。普段はなんとも思わないことがふと気になりだしたら、それが私たちの「知の目覚め」の合図です。

10月の全6回にわたり開催しているToKtober Fest 2021の3回目はリンゴのお話です。熊谷はこれまで様々なところに招かれたり、自身で主催したりして、参加型のワークショップをファシリテーションしてきました。そのレパートリーのひとつが「リンゴ」を題材にしたものです。

内容は以下の通りです。参加者集団の特性によって、日本語だったり、英語だったりしますが、大体の流れは以下のとおりです。みなさんも、想像しながら追体験してみてください。2人以上で取り組むといいと思います。

リンゴを描く:第一部

①まずは、頭の中に リンゴを1個思い浮かべてください。

②そのリンゴをできるだけ正確に絵に描いてください。

③そのリンゴをパートナーに言葉で説明し、できるだけ正確に描写させてください。終わったら、交代します。聞いていた方の人が今度は同じことを説明していた方の人にしてください。

④お互いが最初に描いたリンゴと、説明を聞いて描いたリンゴをも比べて、どこがどうだと振り返ってみてください。

ここでは、言語にフォーカスします。説明する際に、もしくは説明を聞いて描く際に、難しいところはありましたか。私たちは普段、言語を主なコミュニケーションツールに使用していますが、実は結構人それぞれに少しずつ異なる理解をしていることがあります。また、自分がイメージしたリンゴそのままを言葉で表現する際に、色味や形など何かを単純化していないでしょうか?

知識を誰かと共有する上で言語は大きな役割を果たすなくてはならないツールですが、人生経験、知識などなど、個人が持つ様々な要因の違いはあれど、それでも大部分は理解しあえますよね。それが可能なのはなぜなんでしょうか。

リンゴを描く:第二部

第二部では、「リンゴを通して私たちは世界について何を知っているのだろうか」という問いが出されます。「世界について」があまりにも漠然としていて、よく質問されるようです。その際は、地球でも、日本でも、生活範囲でも、どこか場を設けるといいと思います。「私たち」は「私」を含む複数の人です。日本人でもいいですし、地域コミュニティでも、ご自身の世代でもいいです。ご自身が含まれるグループと考えてみてください。

この洞察後の議論がとても面白いです。第一部で描いたリンゴで、食べられないリンゴを描いた人はほとんどいませんでした。ということは、「リンゴを食べることができる」ことを知っていると言えます。そこから更に視点をずらしてみると、「リンゴは○○で生産されている」とか。「○○という種類のリンゴはアップルパイに適している」とか、「リンゴは秋の果物である」とか、「リンゴはスーパーなどで売って、買う」とか、どんどん出てきます。

ここでもう一歩先の知識を見つめてみましょう。「ということは、どういうことですか?」と。「私たちはそれをどのように知ったのですか?」と。

私は、私たちは何をどのように知っているのか

例えば、「リンゴを食べることができる」ことを知っているのはどうしてでしょう。それは「他の人が食べているところを見たことがある」からだし、自分自身も「食べたことがある」からですよね。目で見たことを通して、または自身の直接体験を通して、私たちは「リンゴが食べられることを記憶しています。

アップルパイには酸っぱいリンゴが向いているそうですが、それはレシピで知ったのでしょうか?それとも色んなりんごの種類でアップルパイを焼いてみて、「これだ!」と思ったのでしょうか。そうだとすると、料理は試行錯誤のプロセスですね。

「リンゴはスーパーなどで売って、買う」際に、その売り買いをお金を通して行っています。それは我々近代人の経済活動の仕組みにひとつを知っていると言えます。それを歴史という視点で捕らえてみたら、交易を探求できるかもしれません。硬化と貨幣という視点では、デザインとか生産技術という観点から、労働とその報酬、生産と価格、など実に様々な学問領域につなげて学びを広げることが可能です。

最後に

リンゴを思い浮かべて描写するといっても、そもそも思い浮かべるリンゴがそれぞれ異なっているでしょうし、描写するポイントや方法、そしてどの言葉をセレクトするか、などなど参加者の多様性と個性が見えると熊谷は話します。

描かれたリンゴには私たちの日常生活が深く関係しています。日常生活でリンゴを見た、食べた、匂った、買ったという経験の中から体系化されたものです。今回紹介したアクティビティは、リンゴに関して体系化された知識をもとに、リンゴを想像し、記憶を呼び起こし、言語で表したものです。

このように、リンゴひとつとっても、私たちは様々な知識を応用して描写していることがわかります。何も知らないような気になりますが、視点をずらして、そして問うてみると、自分が思っているよりもたくさんのことを知っていると感じるのではないでしょうか。