13月:DON GIRI MAGIの衝撃

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。

最近の「13月」シリーズは、国際バカロレア・ディプロマプログラムの世界必修科目、「知の理論(Theory of Knowledge: TOK)」のテーマ、「知識と知る人(Knowledge and the Knower)」や「知識と言語(Knowledge and Language)」に寄ってきていると感じています。

「13月」とは、今ではもう殆ど使う人がいませんが、かつては「おめでたいやつ、まぬけ」という意味で三陸でよく使われていました。もっぱら、私の祖母が私の失敗を罵るために最も高頻度で用いたフレーズのひとつです。

言葉って、知識の伝達や生成の重要なツールではありますが、私たちが用いる言葉は、一人間として自分自身は何者なのかを如実に反映するように思います。いつ、どこで、誰と一緒に行ったのか、そんな面影を私は時折、私が使う言葉の中に感じることがあります。

昭和の面影

ときは昭和50年代。宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)。私の家の周りはまだ舗装され始まったばかりでした。そんな道路を近所のおじいさんが馬車で街に出かけるのをよく見かけたのを覚えています。舗装される前はほとんど気になりませんでしたが、舗装されると馬糞が目立つなと思ったものです。

私の家族は私が生まれる前は、宮城県唐桑町小原木というところで、何世帯か一緒に暮らしていたそうで、私が生まれてからも毎週末にそこに集まって畑仕事をしたり、漁の準備や後片付けをしていました。

その家に入ると、土間があって、そこに竈(くど)がありました。そこで煮炊きしていたのかどうかは記憶にありませんが、土間で遊んでいると明治生まれの「おっぴばあちゃん(曽祖母)」に怒られたのははっきり覚えています。私は関節が弱く、転ぶとどこかしら脱臼する癖があり、走り回って板間から土間に落っこちたり、敷居につまづいたり、その度にやたらと叱られました。

その家の縁側では味噌を作るために大豆が干してあり、そこに住むおじさんのことを「豆のおんちゃん」、おばちゃんのことを「豆のおばちゃん」と私は言うようになりました。

ある日のこと、その豆のおんちゃんの家に来ていた親戚のおんちゃんが、非常に大きな黒光りするかりんとうを私に差し出して、「これを何というかわかるか」と私に聞きました。私がまだ純粋な幼稚園生の頃だったと思います。かりんとうという言葉も知らなかったので、素直に「何て言うの」と聞き返しました。

「これな、“どんぎりまぎ“って語んだぞ」

おんちゃんはニヤリと笑い、酒臭い息を吐きながら私に言いました。彼は漁師で、大体午後も深い時間になてくると真っ赤な顔をしていました。それはともかく、「どんぎりまぎ」とは「お尻の穴が裂けてしまうくらい太いうんこ」を意味する三陸の方言だそうなのですが、「Don Giri Magi(ドンギリマギ)」という音の響きが強烈すぎて、その意味を説明されてもまるで頭に入って来ませんでした。ただ、「Don Giri Magi」という音だけが、私の頭の中で無限ループしていました。

どんぎりまぎのおんちゃん

その後、そのおんちゃんは私から「どんぎりまぎのおんちゃん」と言われ続けます。だんだんにそれが浸透し、私以外の子供たちからも「どんぎりまぎのおんちゃん」と言われるようになりました。そして最終的には大人たちも、彼のことを「ドンギリマギ」と呼ぶようになりました。

私は「ドンギリマギ」という言葉の意味はどうでもよくて、ただひたすらその音の響きに感動していました。こんなにインパクトがある言葉があるでしょうか(みなさんも人気のないところで、一度声に出してみてください)。私はただ、その言葉を教えてくれたおんちゃんに感謝と尊敬の念を込めて、その後もずっと「どんぎりまぎのおんちゃん」って呼び続けました。

が、よくよく考えると、おんちゃんはみんなから「太いウンコのおんちゃん」って呼ばれていたということですよね。でも、いつもちゃんと返事をしてくれたから、結果とても優しい人だったんだと思います。

おんちゃんが教えてくれた「どんぎりまぎ」という言葉が、認知され、浸透し、まるでずっと前からあったかのようになるのを見て、幼い私は興奮を覚えます。自分が使い始めたその言葉が広まって、普段使いされるようになるその過程に幼いながら、言葉の面白さを知りました。

最後に

とはいえ、おんちゃんの葬式で、みんなが「どんぎりまぎ」と連呼しているのを見て、これは本当によかったのだろうかと、大人になった私は初めて不安に思いました。冷静になって考えてみると、私は私のばあさんと同世代の人をつかまえて、「尻の穴が裂けるほど太いウンコ」って呼んでいたのですからね。

とはいえ、満面の笑みをたたえた遺影のおんちゃんの前で皆がおんちゃんのことを「Don Giri Magi」「Don Giri Magi」って呼んでいるのは、快感でした。何十年も前に子供をからかおうと思って発した言葉がこんな風になるなんてね。

皆さんにも、思い出に残っている言葉はありませんか?その言葉は誰から教わりましたか?どうやって知りましたか?普段、皆さんはどんな言葉が気になったり、気にならなかったりしますか?

一度立ち止まって、振り返ってみると、私たちの足跡が浮かんでくるように思うんです。