思えば遠くへきたもんだ

宮城の漁村から

思い返せば、私が外国に興味を持つようになったのは、「ゴレンジャー」という戦隊ものじゃなかったかと思います。カレーが好きなオレンジャーが好きでした(調べたらオレンジャーではなく、キレンジャーでした)。

どういうわけか私はゴレンジャーを見ながら外国に思いをはせていたんですよね。なぜか、「ゴレンジャー=ブラジル」っていうイメージがあります。ミドレンジャーとキレンジャーの色合いにブラジルの国旗を連想したのかもしれません(そういえば、この手の番組の世界観って地球規模ですね)。

私が生まれ育った宮城県気仙沼市はそこそこ大きな漁港で外国の船が立ち寄ることがありました。巨人のように大きなロシア(当時はソビエト)の漁師が顔を真っ赤にして街を闊歩し、ウォッカを飲まないかと誘われて怖がったり、具合が悪くなった韓国船の漁師が救急車で運ばれていく様を外国に来て体調を壊すのは気の毒だと思ったりしたものでした。

彼らはどんなところから来て、どんな言葉を話すのか、どんな魚をとって帰っていくのか、私は聞いてみたくてうずうずしていました。時々、手招きされて、お菓子をもらったり、たいがい陽気な感じだったので怖くはありませんでした。あの時はお礼を伝えることもできなくて、どうしたものかと思っていると英語という言葉があって、それを話せればだいたい外国の人たちと話すことができると知りました。

ひとり上手英語勉強法

ただ、残念ながら気仙沼には受験を扱っている塾はありましたが、英語を勉強できる環境はありませんでした。英語そのものを教えてくれる人を求めようとすると、当時は仙台まで行かなければいけません。英語に興味を持っていても、勉強できないので次第に私はふてくされていきます。

鹿折(ししおり)中学校で唯一英検4級を落ちた日には、さすがに英語を好きだの何だの言う資格すらないと反省しました。今できること、そこからやらないと。腐っていても始まりまりませんからね。

そこで『CNN ENGLISH』という雑誌を一冊買って、とりあえずそこから始めようと思いました。CDがついていたので、そのCDと同じスピードで読めるまで音読練習したり、CDを聞いて書きとったり(デクテーション)、目をつむってCDを聞き、それをすぐ繰り返したり(シャドーイング)、読まれるニュースを一文ずつ読みながら3回ずつ速写したり(音読筆写)、鏡の前でインタビューしている/されている感じでシャドー英会話したり、一人上手な勉強をしていました。

音声を重視した勉強方法をしていたので、学校の英語の授業でも結構スラスラって英文を読めるようになります。ある時、先生に当てられて教科書を読んだら、「そんな読み方をするとみんなに嫌われるぞ」と言われて恥ずかしい思いをしました。反感を持つというよりは、「やっぱ、ダメかぁ。浮いちゃうもんな。」っていう方が強かったと思います。

憧れの環境

でも、好きなものは好きなので、英語の勉強は私がやりたいように、「空飛ぶモンティパイソン」や「ジェシカおばさんの事件簿」などイギリスやアメリカのTV番組を見ながら、私は大学受験には全く関係ない英語の勉強をつづけ今に至ります。

しかし、私は英語圏への留学経験がありません。だから本場の肉体感覚を伴った生の英語を知りません。唯一、私が英語で生活していたと言うことができるのは、国費留学生として韓国の大学院に留学していた時です。世界各地から集まる国費留学生の共通語は英語です。比較的早く韓国語を話せるようになった私は通訳の役割を担うことが多く、随分トレーニングされました。

帰国して、前任校でIBに携わるようになって、私は日本語ではなく英語で仕事をするようになりました。IBコーディネーターになって、私は世界中の先生たちと繋がって、授業で英語を使うだけでなく、普段の生活が英語でできるようになりました。

そして今、大阪市立水都国際中高の開講準備をしながら、私は日本語で話している最中に、英語で質問を受けて英語で答えて、英語で話しているときに、電話がかかってきて日本語で話してっていう、完全にバイリンガルな環境で仕事をしています。私の使用言語の転轍機(てんてつき)は毎日フル稼働しています。もう少し韓国語を話す機会が増えれば、プルーラリンガル(複言語)の環境になるのですがね。

最後に

『小さい頃のあの夕べ、鼎が浦(気仙沼湾)に鳴り響く汽笛の湯気や今いずこ。思えば遠くへ来たもんだ。』

今日は何だか中原中也の気分でした。