オンライン授業あれこれ その2

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。世界規模のコロナウイルス感染拡大による休校の間、多くの学校でオンライン授業が試行されました。これほど長期に渡って全国の学校が休校になるというのは我が国の学校教育にとって初めてのことです。私自身も色々と試してみる中で、もどかしさを覚えたり、むしろよさに気づいたりしました。

今回はあくまでもアナログ志向の私なりのオンライン授業についてお話したいと思います。

学校と生徒の状況

私は現任校では、高校2年生の「知の理論」という国際バカロレア・ディプロマプログラムの科目を担当し、16人の生徒を対象に授業を行っています。普段から授業や試験は個人のPCを持ち込んで取り組んでいるので、生徒全員が自身のPCを持っており、自宅でもインターネットに接続できる環境にあります。

学校では「G Suite for Education」というGoogleの学校向けのサービスを利用しています。HRや各科目にはそのサービスの中の「Classroom」機能を用いて、諸連絡、資料の配布、課題の提出など複合的なコミュニケーションを行っています。

そのため、3月に休校になった時点からそのクラスルームで課題を出したり、あるトピックに対して自分の意見を書き込み、そこから質疑応答をしたり、ディスカッションを行ったりということを試してみました。筑波大学附属坂戸高校ではEdmodoを用いてやってきたことを、そのままClassroomで再現しました。

オンラインツールを用いた授業デザインの考え方は以下のクリップを参照ください。

オンライン授業の実際

私はオンライン授業を行うときは、Googleにはビデオ通話できる「Meet」という機能を利用しています。Zoomも考えたのですが、機能が多いとやりたいことも増えてしまい、やり方に工夫することに時間と労力をかけてしまって、授業そのものの目的を逸脱する傾向が私にはあるので、機能がより単純明快なMeetを使用することにしました。

「知の理論」という科目は、学習者自身が「知っていると主張すること」について、「一体どのように知っているのか」について洞察し、自分の言葉で言語化できるスキルを養う授業です。このまえは「知識に関する主張」を分析しました。授業では2人一組になって8つの異なる主張について考察し、その後全体に向けてプレゼンテーションを行い、質疑応答をしました。そのうち3つ例を出しますね。

  1. 私は正方形の4辺の長さが等しい四角形であることを知っている
  2. 私はまもなく午後1時を迎えることを知っている
  3. 私はバンコクでカオマンガイのおいしい店を知っている

私のオンライン授業では、Meetでコミュニケーションを取りながら、Google Slideを予め用意しておいて、そこで授業をすすめる上で必要な前提知識をまずは講義します。それからGoogle Slideのリンクを知っている人はスライドを編集できるように設定し、そこで各ペアでディスカッション、全体に向けたプレゼンテーション、プレゼンターへの質疑応答を行っていきます。

生徒の反応

生徒たちはまず考え、その考えたことを言語化する上で言葉の選択が正しいのかについて吟味しながら二人ペアでプレゼンテーション用にスライドを完成させます。スライド上では案外活発な対話が文字で起こっているようで、各ペアのスライドを覗いて、私はフィードバックしたり、質問したりします。

生徒たちからは、「学校が始まったら、みんなとこういうことをディスカッションしたいとか、もっとみんなと話したいって思える」とか、「話すよりも、自分の中で考えがまとまってから書くことが出来るので、スライドで話すことは自分が疑問に思ったことを言いやすかった」といった感想がありました。中には、「タイムラグはあるけど、反応も含めてスライドでコメントできたので、今日の授業が自分が思ったことを一番素直に表現することができたと感じた」というコメントも有りました。

私が受け持っている「知の理論」という科目の特性もあり、私の役割は生徒たちの思考をよりよく言語化するよう場を作り、適切なファシリテーションを行うことです。授業のスタイルをあえて説明しようとしたら、流れは「Think(個人)→Pair(ペア)→Share(全体)」で、内容に応じてではありますが、「フェイマンのテクニック」を参考に授業を組み立てています。

最後に

結果、いつもオフラインでやっていることを、ただオンラインで再現しただけの授業を私はしています。私に特別なICT技術はありませんが、なんとか毎週授業はできています。

ただ、前回のエントリーでも触れましたが、オンライン授業が可能な環境にあったとしても、学習者はオンラインで学ぶことのスキームが構築されていなければ、困惑するでしょうし、オンラインで学ぶことの意味がそこに提示されていなければ、オンライン授業が最善の学習方法である必要はありません。

また、PCの前で一に授業を受け続けるというのは、学習者にとっても相当なストレスです。やっている私もものすごく疲れますし、準備にも今まで以上に時間がかかっているように思います。課題を出しすぎて生徒がいっぱいいっぱいになっているという話もよく聞きます。

オフラインの授業は生徒の声、表情、体の動きを見ていればどういう状態にあるか察しはつきますから、先生たちは都度都度テコ入れしますよね。集中力が切れていれば、雑談に持っていったり、窓を開けたり、休憩をとったり、理解が追いついていないようであれば、もう一度事前に学習した内容に戻って関連づけたり。オンラインでは生徒の細やかな状態をなかなか把握できません。

だから、普段の授業より私はゆっくり、のほほんと進めるようにしています。幸いなことに生徒たちは早くみんなで面と向かって議論をしたいと言ってくれています。嬉しいことだと思いつつ。学校が始まったら、「もう先生いらねーし」くらいの勢いで彼らは授業するんだろうなぁと寂しさを予感しています(時々は「先生!」って声をかけてほしいです)。

前回と今回はオンライン授業について私なりの考えを書いてみました。全国の先生方が今、オンライン授業をどうするか、オンラインで議論していますね。その情熱に頭が下がります。あまり公にはなりませんが、そんな先生たちがものすごくたくさんいます。日本の教育の現状を嘆くのはまだまだ早いと思いました。今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。