オンライン授業あれこれ その3

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。私が現在勤務している学校は6月1日から分散登校が始まりました。

1クラスを20人ずつのグループに分け、それぞれ午前と午後にのみ授業を行います。1週目に午前に授業を受けたグループは2週目に午後の授業を受け、1週目に午後の授業を受けたグループは2週目に午前の授業を受けるといったように、2週間かけて1週間分の授業を受けます。

生徒と面と向かって授業をするのは約3ヶ月ぶり。とはいえ、オンラインで週に1回110分ノンストップの授業をやっていたので、何の感慨もお互いにありませんでした。オンラインでの最後の授業のときに生徒に正直なところ、学校に登校して授業を受けたいか聞いてみたところ、学校に行かなくても学べる科目があるので、週2~3日位、必要に応じて学校で授業を受けるのがいいとの声が大半でした。

確かに、私も私が持っている授業に関しては、オンラインで授業をしても効率が悪かったり、不都合があったりということはなかったので、対面式の授業でなければいけなという感覚は持っていません。

未来の教室

これまで、2回に渡って、オンライン授業のことを取り上げました。

オンライン授業が急に身近になりましたね。アナログな私のオンライン授業についてパート1です。
オンライン授業が急に身近になりましたね。アナログな私のオンライン授業についてパート2です。

私は個人的にオンラインで受けられる授業の割合をもっともっと増やしてはどうかと思っています。私は高校生の頃から、入学試験を受け、合格した学校にのみ登校して、決められた授業を受けるという選択肢の他にも、全国または全世界の先生たちの授業をオプションで受け、それを単位として認められるような制度があればいいなと思っていました。

すべての科目ではないにしても、ある一定の割合で自分自身が所属する学校以外の先生が教える授業をオンラインで受けることができればもっと学びの幅は広がるし、学年とか、国とか関係なく、同じ授業を受けてともに学ぶ仲間ができたら、もっと面白いのにって。世界中の学習者がその学びを選択できるようなプラットフォームがあって、そこで学んだことが卒業条件を満たす単位として認められたらいいのにって高校生ながら考えていました。

この期間、世界中の大学などでオンラインの無料講座を開きましたよね。私はニューヨークの近代美術館の講座を受けてみました。なかなか面白かったです。

実学を軽んじてはいけない

しかしながら、しかしながらですよ。冒頭で私の生徒が「オンラインとオフラインの授業はどっちかだけではなく、どっちもあったほうがいい」といい発言を紹介しましたが、すべての学びがオンラインで完結するわけではないということを私たちは腹の中にしっかり持っていないといけません。

学校は何も教科書から知識を得たり、問題を解けるようになったり、自らの探求の種を見つけ、育て、それをアウトプットできるようになったり、といったことを学ぶ場だけではありませんよね。点数にはなりませんが、クラスメイトや部活の仲間、先輩や後輩との関係の中からも私たちは多くのことを学びます。他者との関係がうまくいかなくなったときこそ、私たちは学ぶのです。

また、高校だと、農業や工業などの実業系の科目もありますよね。私は前任校の筑波大学附属坂戸高校が総合学科の学校だったため、ダイナミックな農業や工業の授業を通して、生徒たちがそれをグローカルな文脈に結びつけて知識を得ていく様子を目の当たりにしました。

いつも私が日本の教育の真髄はここにあると主張してやまない体育や芸術、技術家庭の授業もオンラインでは学ぶことにかなり制限があります。体育の授業はありとあらゆる概念を学ぶ場ですよね。空間、関係性、変化などなど。こういう実学を通した学びの価値、そして学校に登校して授業を受けることの意味をもう一度考え直してみたら、本来の学校教育の価値と意味が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

オンラインでできること

実際に学校に通って学ベることがわかれば、オンラインでできることは自然と精査されるはずです。学校でしかできないことを学校でやる。学校でなくでもできることはオンラインでやる。

とすると、オンラインで個人で学び続けられるようなインフラとスキームが学習者には必要になってきます。オンライン、オンラインって鬼の首を取ったように何度も言いますが、オンラインではなく、これまで私たちは図書館で学んできたはずです。図書館で学ぶようにオンラインで学ぶと考えれば、別にICTに疎いと気後れせずに済むのではないでしょうか。

でも、これまでも図書館を有効に活用する方法を知らない人はいました。オンラインで学ぶこと、教えることのやり方を知らない人がいるのとその意味は同じです。William Kankwanbaというマラウィの青年をご存知ですか。彼は貧しさから学校に通えなくなるも、図書館で独学し、風車を設計し、村に電機を引くことに成功しました。彼は自ら主体的に学ぶスキルを持っていたからできたんだと思います。

最後に

Learning is a Lifelong Process.

人生100年時代が到来しつつあります。私たちは、私たちの次の世代は大学を卒業したあとも、生涯に渡って学び続けることを余儀なくされるでしょう。そんな時代に必要なのは自律して学び続ける力です。

誰かに強いられて学ぶのではなく、自ら学びの種を発見し、それについて探求する力こそ21世紀を行きていく上で最も大切なスキルのひとつではないでしょうか。20世紀の科学の発展は、本を読むことを通してのみ学ぶという伝統的学習観を否定しました。観察し、仮設を立て、それを実験を通して探求する知識の生成の過程にこそ真の学びがあるという考え方です。

そのことについて詳しくは、三木清と小林秀雄は対談「直観を磨くもの(新潮文庫)」、11ページから31ページの中で語られているのでそちらを御覧ください。


ぜひ、教育関係者、保護者のみなさんに読んでいただきたい本です。この対談が昭和16年に発表されたというのがまた驚きです。かなりたくさんの方に勧めたため、Amazonでは売り切れてしまったようですが、なんとかして入手してください。

要は、オンラインにせよ、オフラインにせよ、その授業で学ぶことの意味はどこにあるのか、その腹づもりをもって、指導者も学習者も授業に臨みましょうということを言いたかったんです。