チノメザメをご覧の皆様、はじめまして。寺谷実花です。
先日1.7mのオオサンショウウオのぬいぐるみを買いました。いざ一緒に寝てみると大きすぎて寝返りが打てません。おかげで寝不足が続いていますが、可愛さが勝っています。
小さいころから紙芝居を描いていています。お笑いが好きで、空いた時間は漫才やコントをいろいろ見ています。深夜はオールナイトニッポンを聞きながら授業の予習をするのが日課です。
なぜと問うのは2段階まで
私は大阪育ち、海外在住経験は全くない生粋の日本人です。いわゆる純ジャパです。現在は大阪市立水都国際高等学校のIB1期生として学んでいます。
最近は、自分の意見に2段階「なぜ」と問いかけることがマイブームです。例えば「私はオオサンショウウオが好き」という主張をすると仮定して、「なぜオオサンショウウオが好きなのか?」と問いかけます。答えは可愛いから。
とすると「なぜオオサンショウウオは可愛いのか?」と自分に問いかけるのです。答えはオオサンショウウオはおっとりとした見た目とは裏腹に共食いをするほど獰猛な性格である。このような性格は私と共通点があり、愛着がわくから。という感じです。
これらをくっつけると不思議と説得力のある主張になるのです。調子にのって3段階目に挑戦するといつも屁理屈のようになってしまうのでこれ以上はおススメしません。
自分の基準を最初に設けてから考える
高校3年生になり、大学進学やその後の生活を考える機会が増えました。未来への漠然とした不安感を和らげるには情報収集が効果的だと思い、現役IB生が集うこのプロジェクトに参加しました。
このプロジェクトに参加している全国のIB生は毎月一回オンラインで集まって、あれこれ情報交換する場が設けられています。自己紹介がスムーズにいくようにと、今回は熊谷先生から「あなたが家から学校に通う通学路にないものはなんですか?最大3つまで上げてください。」というお題が出ていました。
私は銅像と博物館、時間と答えました。「ないもの」と聞かれて、真っ先に「わたしが欲しいものはなんだ?」と考えました。私は普段から質問に対して、自分の基準を最初に設けてから考えることが多いなと思います。質問には早く答えたいし、会話の場合、間がもどかしいので基準を考えた方が時短と思っている節があります。
ほかの参加者の答えはぶっ飛んでいるものもあり、とてもおもしろかったです。参加者の中には同じ高校に通っているのに「え、あるよな?」みたいな珍回答もあり、通学路って毎日見ているけど、案外覚えてないものだなと感じました。
対照的に、電車の中で一回しか見たことないけどインパクトの強い人とかいますよね。意識してみることによって、反復の中にも変化が発見できるという可能性を感じました。私も変化を発見するべく、毎日色を指定して、その色を探しながら登校しはじめました。
不安は自由のめまい
正直なことを言うと、私は中学に入ってすぐ、日本の英語教育に疑問を持ちました。授業では先生が拙い英語でアルファベットの書き写しを教えていました。英語は言語であって何かを伝える手段なのに、受験のために暗記することが目的になっていると思い、「バカバカしいな」と尖った態度をとっていました。
中学2年生の夏休みにフィリピンに語学留学をします。理由は塾の夏期講習とフィリピン留学の値段が一緒だったからです。そこで、英語はコミュニケーションツールだと実感し、学校では3年間、毎日1時間英語を学習しているのに英語が使えないことに憤りを感じました。そして、高校に進学してからも続くであろう暗記する勉強に危機感を覚えました。
そんなとき友達にIBDPでは英語を学習手段として用いていると教えてもらい、「入れたらたらいいなー」くらいの気持ちで水都国際高校に入学し、無事IBDPで学ぶことができています。
DPの選択教科はChemistry(HL)、生物(SL)、Math:Analysis and Approaches(HL)、歴史(SL)、言語と文学(SL)、English B(HL)です。実際IBDPで1年半ほど学んできて、急激に忙しくなったりすることはまだありません。しかし、じりじりとした穏やかな圧迫感が常にあります。キルケゴールの「不安は自由のめまいだ」という言葉があるのですが、IBDPはまさにそれを体現しています。
その理由は2つあると考えていて、IAという、各教科、自身で研究課題を見つけて、論文にまとめるということをしなくてはいけません。これが思うように進みません。これがとても歯がゆい!さらに厄介なことは、グループでの議論やプレゼン形式の学習が多い一方、学習は個人主体である点です。
教室でクラスメイトと議論する時間はとても楽しく、たくさんの新しい課題が発見できます。しかし、そんな華やかさはほんの一部で、裏ではプレゼンの準備や単元の復習の時間が学習のメインになります。「さみしい!つまんない!」と正直思います。
個人の学習は孤独であるとともに成長が自覚できず疑心暗鬼に陥ってしまいます。一時期私も自暴自棄になっていたのですが、不思議なことにこの圧迫感に慣れてきます。人間ってすごいなぁとつくづく思います。
IBDPでは物事を抽象化して考えることを学びました。私はこれを「大きな定義」と心の中で呼んでいます。それと同時に身近な感覚も意識しなければいけません。これを私は「小さな定義」と呼んでいます。小さな定義はものの見方ごとに異なる場合もあり、どちらも大切にし、学ぶことでより深く理解できると思います。
これからIBを始める君へ
まず、読んでいただいてありがとうございます。読み返してみると私がただ感情をぶつけてしまった気がしますが、参考になればうれしいです。
小中学生はこれから先、将来についてたくさんの選択肢があり、たくさん悩むと思います。しかし、時間はあっという間に過ぎ去っていきます。今、やれない理由はたくさん探しても結局残るのはやらなかった後悔だけです。理由はあとからつければいいと私は思います。なので、好奇心に任せて行動してほしいなと思います。