13月とあわびの呪い

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。この「13月」シリーズは3か月に1回位のペースで私と私のばあさんとの間で起こった悲喜こもごもを書いています。

「13月」とは、「おめでたいやつ、まぬけ」という意味で、私の失敗を罵るために、ばあさんが最も高頻度で用いたフレーズのひとつです。今回は、ばあさん史上最高潮のテンションで「13月」と罵られたエピソードをご紹介します。

自然に学べ

ばあさんは暇さえあれば私を海に山に川にと連れまわしました。中でも5月5日のこどもの日には毎年恒例の盛大な行事がありました。朝早く起き、潮が引いている午前中は海に海藻や貝などを取りに行き、お昼を食べてから、山に山菜取りに行くのです。

私の家族は元々、唐桑町小原木(現在は気仙沼市)というところに親戚関係にある何世帯か一緒に暮らしていました。それぞれの家族が増えてきたことから分家して、私たちは気仙沼市内に移住しました。以前このシリーズに登場した「まめのおんちゃんとまめのおばちゃん」は私のじいさんの妹夫婦で、週末は結構そこに集まることが多かったんですね。「どんぎりまぎのおんちゃん」も近くに住んでいた熊谷姓の親戚です。

お待たせしました。13月シリーズ最新作です。熊谷のばあちゃんの話です。
シリーズ最新作です。お食事中の方はどうぞお食事を済ませてからご覧ください。

小原木の家の前の坂を下りていくと、そこには「しっちゃ」という名の浜がありました。岩場が多く船が入っていけない砂浜でした。ばあさんと私の磯の収穫ツアーはいつもそこからはじまります。採ったツブやしゅうり貝、マツモにフノリなどは腰に下げたフクベンという竹ひごで作った入れ物に入れていきます。

波に濡れた岩場は滑って危ないんですが、それこそ学びだとばあさんは主張します。学校の勉強ばかりできても人間は自然から離れて生きていけないのだから、どこに危険があって、その危険を回避するためにはどうすればいいのかを身をもって学ばなければいけないとよく言われました。

そのばあさん、アワビ大漁につき

私が小学校1年生の5月5日はビックリするくらいアワビが採れたんですね。時は昭和56年。まだまだ緩やかな時代でした。今では考えられませんが、開口(漁業権を持っている人達が海産物を収穫する日)でなくても漁港のメンバーの家族であれば磯で海藻や貝を採ることは漁協長に声をかければ許容されていた時代です。小さな集落だったので、みんなその辺に住んでいて声をかけやすい環境でもありました。

ばあさんももともとは漁に参加していたそうですが、船が苦手だったらしく、私の誕生により私を養育するため陸に上がった(ばあさん談)そうです。それでも海を見ると腕がなるのでしょうね。年に一度『こどもの日』をいいことに、私を連れて磯に遊ぶのはばあさんにとって漁師としての感覚を確かめる日だったのかもしれません。

アワビは磯部のもうちょっとだけ沖の方の岩の影っこにいるので、相当潮が引いている時でないとなかなか取れません。幼稚園児の頃からこの行事はありましたが、子どもの私でもその日は史上最強の干潮で陸から遥か彼方まで岩が根元から現れているのがわかり、今日は何かが起こると胸躍りました。

ばあさんもテンションが上がっており、フクベンはすぐにいっぱいになりました。そこでアワビを見つけたもんだから、アワビは私のフクベンに入れられることになりました。が、これが後に大問題を起こします。

ばあさんは、そりゃ経験も豊富な大人ですから、潮が満ちてきてもぎりぎりまで獲物をゲットしようと目をギラギラさせていますが、だんだん潮が満ちてきて、高くなっていく白波に私は恐れをなして、陸に戻らなくていいのかとばあさんに促します。が、ばあさんは「この程度の波で何を言う」と全く相手にしてくれません。

いよいよ命の危険を感じたとき、ばあさんは陸に戻ることを私に告げます。が、その時には私は恐怖の方が勝っており、岩と岩の間の波の満ち引きの間に飛び移ることも恐る恐るでした。そうこうしているうちにばあさんだけが陸に戻ろうとしたように思い(ばあさんならやりかねないくらいに思えたし)、私は置いていくなと泣き叫びました。

今思えば、ばあさんは先に陸に戻って、私に手を差し伸べて、安心して飛び越えさせようと思ったのだと思うのですが、すでに私はパニック。ばあさんに見捨てられるかもという恐怖と怒り(!)で大量のアワビが詰まったフクベンをここで海に投げるとばあさんを脅します。

慌てたばあさんはアワビだけは後生だからまず渡せと、孫の私が怯えきっているのもお構いなしに迫るのです。私は、死ぬにしてもアワビをばあさんに渡して死ぬことだけはまかりならんとばかりに、ついにフクベンを波に投げました。

すると、アワビに目がくらんだばあさんは、そのフクベンを何とか救い出そうとしてバランスを崩し、海に「ドッボーン」と落ちて波に行き交っていました。波に揺れるばあさんを見て正気に戻った私は、無事にひとりで陸に戻りました。「おばあちゃん、大丈夫?」と叫ぶことも忘れませんでした。

広田の海

ばあさんはずぶ濡れで自力で陸に上がってきましたが、フクベンごと海に消えたアワビと私の意気地のなさに怒り狂っていました。私はすまなそうな顔で黙って罵られていましたが、内心ほくそ笑んで、心の中で中原中也の詩を諳んじました。

ばあさんや、ばあさん
海にいるのは、あれはアワビではないのです
海にいるのは、あれは波ばかり
曇った広田湾の空の下
波はところどころ歯をむいて
空を呪っているのです
いつはてるとも知れない呪い

確かにアワビは磯のレアキャラですが、子どもの私には大して美味しいものとも思えず、別にどうでもいいっちゃどうでもよかったんですよね。

最後に

この一件もいつもと同様に盛りに盛られて親戚一同に披露され、私の肝っ玉の小ささを表すエピソードとして長い間語り継がれました。腑に落ちないものの、今回ばかりはばあさんも被害を被ったので、清々しい気持ちで聞いていられました。

しかしですね、これだけは言いたい。感情って人の行動を左右します。だからとても大事だと思うんです。こどもだった私はあの時、とても怖かった。それは本当です。その感情で判断を誤ったかもしれませんが、それは感情を過小評価したばあさんの責任でもあります。怖いという感情は一切の創造的思考を妨げますからね。

教育者として、学習者の感情に寄り添いがちな私の態度は、そんなばあさんとのやり取りの中から生じたものなのかもしれません……なんて無理やりセンセイっぽくまとめてみました(笑)。

みなさん、GWはどうぞ無理されずに、安全第一で自然を楽しんでください。