ToKtober Fest 2022:あなたは目からそれとも耳から?

街角は様々な問いで溢れています。本屋に並ぶ書籍、アーケードで聞こえてくる音楽、やがて暗黙の秩序が生じる無秩序な人の流れ、商店街で交わされる一見無意味な会話。普段はなんとも思わないことがふと気になりだしたら、それが私たちの「知の目覚め」の合図です。

2020年に「ToKtober Fest 2020」と題して、それまで当ブログ(チノメザメ)で取り上げてきた知の理論(国際バカロレア・ディプロマプログラムの世界必修科目)の視点をもう一度振り返るという企画をはじめました。「ToKtober Fest」はドイツ語で10月を表す「Oktober」に由来し、語頭に「T」をつけて「TOK(Theory of Knowledge:知の理論」のお祭りっぽくしようと思って始めました。ほら、よく10月に「Oktober Fest」が開催されているではないですか。

<知の理論という科目>

「知の理論(Theory of Knowledge: TOK)」という科目は、国際バカロレア・ディプロマプログラムの世界共通必修科目です。どこの国で、何語でディプロマプログラムで学んでいても、生徒たちはこの科目を受けなければなりません。現在、英語、スペイン語、フランス語、中国語、日本語、韓国語でこの科目を学習することができます。

日本語では知の理論と翻訳されているので、なにか特別な科目に思われがちですが、私は基本的には認識論をディプロマプログラムという教育プログラムに落とし込んだ科目だと理解しています。以下のリンクでは国際バカロレア機構が知の理論という科目を説明していますので、詳しくはこちらをご覧ください。

https://www.ibo.org/programmes/diploma-programme/curriculum/theory-of-knowledge/what-is-tok/

このリンク中で、知の理論の中心的問いは「私たちはどのようにして知るのか」であると書かれています。主語を「私たち」という複数から、「私」に、私を含まない「誰か(たち)」に、そして同時代の人たち、異世代の人(たち)、かつて生きていた人(たち)とずらしてみて、それぞれの世界の見え方はどうだったろうか、またそれはどういう要因によってそのように見えている(た)のだろうかと思考を巡らすのが「知の理論」という科目だと私は理解しています。

<知るための方法>

TOKの授業では、歴史・人間科学・自然科学・芸術・数学の学問分野の知識を扱います。また、知識と知る人・知識と技術・知識と言語・知識と政治・知識と宗教・知識と土着の社会といったテーマの中から知識と知る人ともう2つのテーマから知識を考察します。また、TOKは学びを通して、エビデンス・確実性・真実・解釈・権力・正当化・説明・客観性・ものの見方・文化・価値観・責任について考えます。

以上が、学ぶことの内容です。2022年から新しい学習内容に変わりましたが、それ以前は「知るための方法」として設定された、 言語・知覚・感情・理性・想像・信仰・直観・記憶の中から4つを授業で取り上げることとなっていました。「私たちはどのようにして知るのか」を考察する上で、この8つの観点から知ることのプロセスを分析することは、私自身は何者かを知るプロセスだと感じました。

<あなたは目から、それとも耳から>

個のブログを始めたのは、まだ私が国際バカロレアを実践する前、学んでいる途中でした。「との理論」という科目を理解し、授業できるように試行錯誤していたのがわかります。

TOKの「知るための方法」について熊谷優一が触れています。

今読むと、何も言っていないように思います。が、このとき私は、人によって異なる方法で何かを知るということを楽曲を知る課程を通して考察しているようです。楽譜を読まない(読めない)人は耳で聞いて楽曲知ろうとするでしょうし、音楽家は聞く前に、楽譜を目で読むことを通して楽曲を知るかもしれません。その人の特性によって知り方は異なることを述べたかったんだと思います。

皆さんはどうでしょう。楽曲は耳で聞いて知ることが多いですか?それとも楽譜を読んで?はたまた、演奏している姿を見て聞いて?このことを話してみたら、いろんな認知の仕方を私たちはしていると気づけるのではないでしょうか。

<最後に>

知る内容によって、視覚が優位だったり、聴覚が優位だったり、触覚、嗅覚が優位だったりしますよね。私はどうやら視覚優位なのかなと今この記事を読むと感じます。そんなお話を次回はしたいと思います。