こんにちは!私は、大阪市立水都国際高等学校で2021年4月からIBコースを選択している内山桃です。私は、小さい頃からフクロウチョウ(眼状紋が生理的に苦手です。)以外の動植物が大好きで、この16年間で人の目を見た回数よりも石の裏を見た回数の方が多いようなタイプの人間です。環境に恵まれていなければ、いじめられるタイプかもしれません(笑)。このことは、IBコースを志望した理由とかかわってくるのですが、また後で話しますね!
自分を通して世界を認識する
まず、このプロジェクトに参加したのは、チャンスを得るためです。1年生の時にPre IBの授業でやったTOK展示では、知識と情報とを聞き手に誤解させる作品を作ってしまい、発表しながら我ながら酷い出来だと感じました。そこで、同じ学校のIB生だけではなく、いろんな友達と自分を比べたり、いいところを真似したりして、前回のようにひどい目に合わないように学習のチャンスをより多く得ようと思いました。
このプロジェクトに参加する現役IB生との一発目のミーティングでは、登下校中にないものを3つ紹介するというアクティビティをしました。私が紹介したのは、野犬、川、信号です。
まず、野犬は今はないけど過去にはあったものという点で思いつました。次に、私は川はないと主張しましたが、話ながら川は海とつながっているのでどこまでを川とするかで主張が違ってくると思いました。
私が通るのは、川と海のどっちつかずの境目のところで、ほとんどがコンクリートで固めてあり、止まっている船も多くて港の印象が強かったので、登下校中の私は海と判断しました。水の中に住んでいる魚の種類とかを見るとまた違った主張が生まれるのかもしれませんね!
私は過去に得た知識やその場にあるものを中心に思考が広がっていますが、他の参加者が挙げたものを比べると、どこでもドアやテーマパーク、お花畑など、あったらいいなと思う個々の願望から広がった考え方が多かったと思います。
さらに、私と同じ学校に通っているはずなのに、私と反対の意見の海がないといっている人がいました。この点から、私たちはいかに自分を通して世界を認識しているかがわかり、面白いと思う反面、16年間生きてきた中でどれくらい見落としていることがあっただろうと想像すると一種の恐怖を感じました。
失ったものを残念がるのと同じくらい
次は、私がIBコースを選択した理由についてです。自己紹介の時に話したように、私は生き物が大好きで、大変興味があります。だからこそ、気候変動、SDGsや外来種などの問題に熱心になりがちで、中学生の時までは勝手に自然側(実は人間側)の見方をしたものの見方をしていましたが、水都の図書館で「なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか」というヨーク大学のトマス教授の本に出会ったことで私の考え方が変わりました。
彼の本には、「失ったものを残念がるのと同じくらいプラスの変化を認めるべきだ」と記されています。ここでの失ったものとは絶滅した種を指し、プラスの変化とは人間の影響によって繁栄した種(人間に使われることで絶滅せずにすんだインドゾウなど)をさしていて、これきっかけに自分の意見の偏りにやっと気が付きました。これでは”人間のための”自然保護を広めていたに過ぎないと感じるのと同時にいかに自分がメディアや周囲の人に振り回されていたのかを知りました。
このようなことがあってから、どこかのサイトに載っていることを直接広めるようなことはせず(環境問題の授業での友達のスライドを責めているわけではない。)正確に向き合えるその分野の第一人者、つまりは生態学者になるための準備としてIBコースを選択しました。
もう暗記しなくていいって思っていたら……
ここでは苦労していることについて話します。私は文系のDP科目(言語と文学、歴史、English B)をHL、理系科目Math:Analysis and Approaches、Chemistry)をSLで受けていて、G6の芸術の代わりに生物を選択科目にしました。
今は特に、「歴史」の授業に手こずっています。授業を受ける前までは一問一答地獄から抜け出せる、プリントを丸暗記しなくていいとウハウハだったのですが、開始一週間目で私の考えがどれだけ甘かったのか思い知ることになりました。
それは、言葉(単語)をいつでも使える状態にしておかないと意見や反論を口に出すことができないことです。今の私には、「分かる」や「知る」だけではもの足りなくて、「知識を得る」というもう一つの過程が必要です。これでは、他の人より時間がかかってしまうので近いうちに「知る」過程で「覚える」という段階を済ませられるようになることが現在の私の目標です。
IBDPに興味のある皆さんへ
読みたい本を見つけて今のうちに読んでおいてください。高校一年生で初めて熊谷先生に出会いましたが、その時から口を酸っぱくして「本を読め」といわれていました(先生の言う本はきっと学術書です)。それでも私たちはあんまり本気で本を読まないので、業を煮やした熊谷先生は課題図書を指定し、それもとに議論するというセッションが何度か行われました。
熊谷先生のことです。私たちの読みが甘いと、一人一人昼休みに先生の部屋に呼び出して、問答するという鬼の特訓がさらに待っていました。そこまでやるかと思いつつ、真面目に怖かったです。だってごまかせないんですよ!呼び出されるまでのつかの間、私たちはもう一度課題図書を本気で読み直して先生を訪れて、そこでも論破されて本気で読むってことはどういうことなのかをヒリヒリと感じました。
Pre IBの授業が終わってから、興味のなかった小難しい本にも自ら手を伸ばすことができるようになりました。だけど、今は授業の課題のための読書で手一杯で、興味のそそる本にたどり着けていません。読みたい本ばかりがたまっていきます。
最後に、今、読みたい本にありつけていないと、絶対に後悔します!さもないと、私みたいに、寝る前に与謝野晶子の「みだれ髪」を読んで寝付けなくなりますよ。