皆さん、こんにちは。熊谷優一です。
「13月」とは、今ではもう殆ど使う人がいませんが、かつては「おめでたいやつ、まぬけ」という意味で三陸でよく使われていた言葉で、私の祖母が私の失敗を罵るために最も高頻度で用いたフレーズのひとつです。
今日は私の祖母の命日ということもあり、『13月』シリーズ最新作として久しぶりにばあさんのことを語りたいと思います。
このブログをご覧になっている皆さんと、イベントなどでたまにお会いする機会があるのですが、どうやら私のばあさんに優しそうなイメージを持っているらしく、私をひどく狼狽させるのです。『となりのトトロ』のばあちゃんみたいなイメージと重なると言うのですから。
ばあさんはアレサ・フランクリンと最も雰囲気が似ていると私は思います。体格も、表情も、声も、そして髪型も、何から何までアレサ・フランクリンと重なるのです。
だから、この歌を歌っている姿を見て、なんだか泣けてくるんですよね。毛皮のコートを脱いだだけでスタンディングオベーションが起こるところ(3’08″)で。何だかんだ私は言いますが、有無を言わせぬ、あのばあさんの存在感と重なるんです。
あれは、ばあさんの葬式でのことでした。今から13年前のことになります。
私はばあさんに育てられたので、当日正体を失くすくらい号泣するのではないかと内心ヒヤヒヤしていました。でも、弔辞を読みながら、生前のばあさんのあまりの強烈なエピソードの数々に、こともあろうに私は堪えきれず、吹き出してしまったのです。
冬だったということもあり、思い出したのは以前、こちらで書いた電気ストーブのエピソードでした。本当に大事に至らなくてよかったと思います。これ以来、どんなに寒くても私は火が出る可能性がある一切の暖房器具の使用を禁じられ、トラウマになって最小限の暖房で過ごすようになりました。
さて、ばあさんの葬式に話を戻しましょう。弔事の最中に私が吹き出してからはいわゆる葬式という雰囲気は薄れていき、最終的に会場は大爆笑に包まれました。私だけでなく、参列者全員がそれぞれ持つ、ばあさんとの強烈なエピソードに笑いを堪えることができなかったのだと思います。それくらい私のばあさんはキャラが立った人物でした。時代が時代なら三国志でも重要な役どころを担っていたはずです。
葬儀後の「忌中払い(きじばらい)」という会食の席では、参列者とばあさんとの間の面白エピソードを披露する会になりました。また、和尚さんが悪い。よりによって、「おばあさんはとても優しくて、朗らかな人でしたよね」なんて言うから。会場は全員が口を揃えて、「いやいやいや」と声を合わせました。みんな、大概はばあさんに怒られたエピソードが多かったのですが、参加者に得も言われぬ共感が走り、笑いに満ちた会になりました。でも、こんなにたくさんの、濃いエピソードがあるということは、ばあさんはその人生でそれくらいその人達と関わった証拠でもあります。
会が終盤に差しかかる頃には、もうこんな風に怒ってくれる人がいないと涙する人もいました。たしかに、ばあさんはいつも怒っていました。まるで自分ごとのように、その人に起きたことを怒ったり、人の分も怒っていました。
こんな風に怒ってくれる人ってそういえば今はなかなかいません。怒られた方は、その時は気分が悪いのですが、今振り返ってみると、怒ってくれる人がいるってことはとても幸せなことだったんだと思います。
この間、大森荘蔵の『知の構築とその呪縛』を読み直していて、その第2章「略画的世界観」のところでばあさんが人の分まで怒っていたことを思い出しました。なぜばあさんが人の分まで怒れたのかわかったような気がしました。いい本です。もしよかったら読んでみてくださいね。