犬は吠えるがキャラバンは進む vol.7-1 おいしさの限界値

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昨年2018年11月に「おいしさの限界点」というエントリーをリリースしました。すると、私の教え子たちから次々に反論が届いたのです(笑)。こういう一見どうでもよさそうな話題にああでもないこうでもない議論するのが「対話を通した主体的な学び」でしょうかね。

食の秋。熊谷がどうも食べ物のおいしさにピンときていないようなんです。

心理的財布

尾花
ブログ読みました。金銭的なところに絞れば、経営や消費者行動のフィールドでは、心理的財布という概念がありますね。人間は心の中で財布をいくつか分けている、というやつです。
クマユウ
確かに、5箱パックのティッシュが20円違うと得したとか、損したとか思うけど、大きい買い物するときは1万、2万の差はまあいいかと思えるもんね。値段に反映されているのは何もおいしさだけではないことは知ってんだけど…所場代もあるだろうし。
尾花
美味しいって概念ってなんでしょうね。単なる「味」ではなく、どういう要素が抽出できるのか、いろんな人の美味しいものエピソードを集めて、どんな文脈で美味しいと感じたのかを分析すれば出てくるかもしれませんね。逆にまずかった食べ物のエピソードを読み解くのも面白いかと。

デパ地下にご用心

鹿間
このエントリー読んで、食事とか食べるものって、おいしさだけが判断基準じゃないんだなーと、改めて思った(ヒトリゴト)。
クマユウ
尾花が「心の財布」って言葉を教えてくれたよ。オレが視覚優位がゆえにこういうことが起こるのではとも読んだ人から言われた。
鹿間
視覚優位だとなぜおいしさが自分の想像を超えないのか、分析の因果を教えてください。
クマユウ
どうやらこういうことらしい。視覚から入る情報でおいしいという想像をかきたてられる。つまり見た目でおいしさを判断する。綺麗に盛り付けられてたりするとおいしそうっていう。
酒井
ってことは、我々が料理を食べるときには、まず目が味わっているということですか?
クマユウ
そう考えると、デパ地下のお惣菜屋さんは視覚優位傾向の人向けだよな。見た目ほどおいしくないわりに結構な値段するから毎回がっかり度が高い。
酒井
偏った考えを「偏見」というように、我々の思考に視覚情報が大きくかかわっているという事例がありますよね。
クマユウ
見た目が悪いか、目隠しで味わったら本来の料理の判断できるのかもしれない。

本来と本当の話

酒井
しかし、「本来の」とか「本当の」ってものを求めると視覚が一番邪魔になっているように思えてなりません。「大切なことは目に見えない」と言いますが、視覚って嘘しかついていないんでしょうか?
鹿間
確かに一理あるけど、嘘だけってことはなくね?目は口ほどにものを言うしね。ただ、目から入手した情報そのものが真実であるとも限らない。
クマユウ
視覚優位はオレの傾向で、聴覚優位の人もいるから、一概に言えないけど、航くんは「人は情報を味わう」ってよく言ってるな。値段ってことを考えると、ブランディングという観点で、誰が作ったとか、どこどこ産の材料を使ったとか、店がどこにあるのかとか、流通とか、実に多角的にオレたちはおいしさを判断する視点があることを知ったよ。
酒井
確かにおいしさが五感から得た情報を複合的なものであることはわかります。ただ、一切のバイアスがかかっていない「本来のおいしさ」という言葉に対して疑問が浮かんだので、さっきのような考えに至りました。「本来のおいしさ」って、五感すべてからたくさんの情報を処理してたどり着くものなのか、味のスペシャリストの経験と味覚に委ねられているものなのか……。どっちだと思います?
クマユウ
「本来のおいしさ」という言葉はオレが言い始めたのだったな。「その食べ物そのもののおいしさ」って言った方が適切だったかもしれない。視覚や嗅覚や、例えば肉が焼ける音など、味わう前の情報なしに味覚によってのみ、おいしさを測ることって、そもそも無理なのかなぁ。

五感超越

浅見
オレは五感から得た情報を処理して出た結果が「おいしさ」だと思います。あと、その瞬間だけの感覚だけではなく、過去の記憶が結びつくことも。おふくろの味とか
稲富
私もおいしさは五感で感じるものだと思います。嫌な雰囲気の中で食べるものって、どんなものでもおいしくないし。
塩田
誰と一緒に食べるのかも重要だと思います。お酒をおいしく呑むのは、何を飲むよりか、誰と呑むのかだと思います。
鹿間
みんなと意見はかなり似てるけど、若干違うかも。結論が違うのかなぁ。五感か味覚オンリーかって分け方じゃなくて、心理状態とかとも関わって、それらすべてが組み合わさった状態で処理された結果と、実際にそれを食べたときの心理状態のギャップがおいしさの状態として現れるんじゃないかな。

中休み

この時点で夜10時半を回っていましたが…一向に終わる気配がなく、どんどん盛り上がっていくのでした。一切の煩悩から解脱し涅槃に入るまではまだまだ遠いと船を漕ぐ私は、「おいしさの限界点」なんてふざけて書いたことを心底後悔していました。

議論の後半は次回お届けします。

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