夢のあとさき

スポンサーリンク




阿南海洋センターに向かう途中の食堂で熊谷が知り合った青年がまた面白いんです。

以前、ひょんなことから徳島の食堂で知り合った雑賀雄太くんがプロバレーボーラ―への道 in ベルリン:予測不能人生というエントリーを寄稿してくれました。そのエントリーにまんまと触発されて、あれからというもの、ひとりであっつくなっています。そして思い出したんです。

私は小学校の頃、バレーボールでオリンピックに出場することを夢みていたと……。オリンピックの選手になれれば、当時憧れていた三屋裕子に会えると思ったからです。

前任校の筑波大学附属坂戸高校に勤めたのも、最初は筑波大学とは関係が深い彼女と何らかのタイミングで会えるに違いないと目論んだからでした。未だに実現していませんが、必ず会えると確信しています(というか、どなたか繋いでいただけませんか?)。

箱根駅伝見れない病

三屋裕子選手を初めてTVで見たのは、小学校1年生の時でした。長身を活かした高速Bクイックが美しくて、すっかり虜になりました。三屋裕子に会いたい!ただそれだけの理由で私はバレーボールをひとりで練習しはじめ、ゆくゆくはオリンピックに出るつもりでいました(本気で)。

これだけ真面目に考えているのだから、背も伸びると思ったし、誰よりも上手になれると思っていました。が、中学校に入って間もなく成長は止まり、今はおよそ平均身長くらいしかありません。やがてバレーボール全日本選手になるという夢は思い出すこともなくなりました。

昨年、私は様々な機会でアジア・ヨーロッパを奔走しました。ある時、成田空港で全日本男子バレーの選手たちを見かけたんですね。石川選手や柳田選手などオーラもそうですが、背が小さい私からするとみんな進撃の巨人並みに大きくて圧倒されました。と同時に、あの中にいない自分を考えて、ちょっと苦しくなりました……。

どこから突っ込んでいいかわかりませんよね。誰だったか忘れてしまいましたが、箱根駅伝が見れないと言っていた人がいました。自分にその才能がある、ないに関わらず、そこにいる人生を選択しなかった、選択できなかった自分を考えると嫉妬で胸が苦しくなる。ゆえに、箱根駅伝が見れない。

以下のエントリーでも触れましたが、どれほどの才能とか、努力の結果とかというのを、一回抜きにして、輝いている選手たちを見ると、輝いていない自分を振り返り、いたたまれなくなってしまうという感情は理解できないではありません。

自信がないからと訴える若者たちへ熊谷優一がメッセージを送ります。

若さでアタック!

私は幸いなことにそこまでこじれることはなく、バレーボールの試合はテレビでよく見ます。特に『春校バレー』は録画してまで見ます。勝ち負けという結果だけではなく、そこに至るまでの葛藤、衝突、和解、軋轢、モチベーションのアンバランスなどなど想像し、結構な頻度で涙します。もしかしたら、自分が成し遂げることができなかったことを、何らかの形で投影しているのかもしれませんし、高校の先生としての経験が過度な共感を生んでいるのかもしれません。

今年の春校バレーは特に泣きました。鎮西高校が優勝を決め、70歳を過ぎた普段は褒めたりしない監督の先生が、声を震わせて優勝インタビューに答えていた時、孫よりも年下の選手たちと泣くほど感情が揺さぶられるような勝利の喜びを分かちあえるなんて、なんて素敵なんだ!とテレビの前で感動に打ちひしがれました。

鎮西高校は熊本にあります。地震で体育館では練習できなくなり、先生たちがいろんな所の体育館を借り、そこまでバスを運転して練習させてくれたそうです。当たり前に思っていたことが当たり前ではなく、たくさんの幸運とたくさんの人に支えられて自分たちがやりたいバレーをやらせてもらえるんだと初めて気が付いたとキャプテンが言っていたのも印象的でした。

そして元日本代表、佐々木みき監督が率いる北海道大谷室蘭高校ですよ。負けた後の選手たちへの言葉がまた泣ける。監督は負けて目に一杯の涙を浮かべ、口を一文字に悔しさを堪えている選手たちに向かってこう言いました。

「私は泣かないよ。だって勝てた試合だったから。でもね、私のきつい練習にあんたたちは耐えてきた。それは凄いと思う……」

って目を覆いました。何だよ、このドラマ!ずりーよ、監督!

夢のなれの果て

部活動を通して、私たちは様々な感情を知覚します。昨今、部活の弊害が教員側からも生徒側からも出ています。でも、「部活=悪」ではない。それにすべてを懸ける青春があってもいいと思います。これは選択です。国際バカロレアの教育プログラムを選択するのと同様に、やり方は吟味されなければいけないと思いますが、部活を学校生活の中心として選択することがあってもいいと私は思います。

私はバレーボール選手としてオリンピックに出場するという夢は叶いませんでしたが、バレーボールをやっていたおかげで、得したことがたくさんあります。

ある時はプノンペンの川べりで。ある時は韓国の田舎町で。そしてバンクーバーで私はひょんなことから現地の人たちとバレーボールを一緒にプレーする機会がありました。普通に旅行していたら絶対知り合わなかった人達とネクラで人見知りの私が、バレーボールを通してコミュニケーションをとることができました。あれ以来顔を見ていませんが、SNSのおかげで今なお連絡を取り続けています。

みなさんにも、似たような経験がありませんか?部活動をやっていたおかげっていう……。勝ち続けるとか、賞に入るとか、そういう目的だけはない意味に心当たりはありませんか?

最後に

雑賀くんは高校の先生をやめて、プロバレーボール選手を目指して、ベルリンで奮闘中のはずだったのですが、イロイロあって今北海道にいます。何はともあれ雑賀くんの挑戦を大阪から応援しています。ついでに、私が憧れの三屋裕子さんに会えるようどなたか力を貸してください。

私は三屋さんと一緒にやりたいことがあるんです。1983年のアジア大会決勝で郎平率いる宿敵中国にストレート勝ちした試合と、1984年のロス五輪の準決勝で中国にストレートで負けた試合を一緒に見たいのです。できれば、その時の中国のいぶし銀のライトプレーヤー、鄭美珠も一緒にいるといいなぁ。三屋さんも昔何かのインタビューで、「レフト(郎平)にブロックを飛ぶと鄭美珠(ライト)が止まらないし、ライトに飛ぶと郎平が止まらない。鄭美珠は本当にやりづらい」って言ってましたからね。

この話をすると、それこそ止まらなくなってしまうので、今日はこの辺で終わりにしますね。また3日後にお会いしましょう。

スポンサーリンク




フォローする