みなさん、こんにちは。熊谷優一です。この「13月」シリーズでは3か月に1回位のペースで私と私のばあさんとの間で起こった悲喜こもごもを書いています。
「13月」とは、「おめでたいやつ、まぬけ」といった意味で東北ではよく使われていました。私の失敗を罵るために私のばあさんが最も高頻度で私に用いたフレーズのひとつでもあります。
今回は20代前半の私がしでかしたクリスマスの13月エピソードをお届けします。
クリスマスソングを作ってみませんか
教員になって2年目か3年目くらいだったでしょうか。私のもとに子どもたち向けのクリスマス会用に歌を作って欲しいと依頼がありました。話を聞くと、クリスマス会というよりは、きちんとしたホールで行われるちゃんとしたコンサートのようで、そこで私に15分くらいの音楽劇をやってほしいと言うのです。
その当時、私は演劇部を立ち上げ、ミュージカルを作るようになっていました。だんだんに口コミで話題になり、商店街のお祭など、様々な地元のイベントに呼ばれては、生徒がミュージカルのワンシーンを歌って踊ったりしました。
ミュージカルをつくるといっても、予め出来上がっていた曲の中からストーリーを考え、ミュージカル化するという手法をとっていた私は、何かのために歌を書き下ろす経験がありませんでした。そんなことが自分にできるのかと思いつつ、自分が作った歌が生バンドに演奏されることへの興味もあって、おずおずと引き受けることにしました。
ねぇ、サンタさん/サンタとドライブ
音楽劇ということだったので、まずはストーリーを考えてみました。自分が子どもだったら、サンタさんにプレゼントやお願い事は頼まなくてもいい。そのかわりに、トナカイのソリに乗って、サンタさんと一緒に世界中の子どもたちにプレゼントを運ぶ手伝いをしてみたい。
で、できたのが「サンタとドライブ」という歌ですが、その導入にもう一曲あるといいなと思ったんですね。子どもがサンタさんにプレゼントを渡す手伝いをさせてほしいって手紙を書くっていう。そして「ねぇ、サンタさん」という歌ができましたが、構想ってどんどん変わっていくのですよ。頭の中にあることとそれが形になることは必ずしもイコールにならないというか……。実際出来上がったものは全然違うものになりました。そしてそのことが大惨事を招きます。
私はサンタ役をすることになり、子どもが書いた手紙をピアノの弾き語りで歌うところから劇は始まりましたが、ファミリー向けのクリスマスコンサート会場は真冬の荒野かと思うほど、どんどん冷えていきます……。私は、会場のお父さん、お母さんたちの笑顔が凍るのを感じ、「失敗した」と膝がガクガク震えるのを必死でこらえ、歌を終えました……。
コンサートホールは真冬の荒野のように
「ねぇ、サンタさん」は、気がつけば、ケンカばかりしているお父さんとお母さんが昔のように仲良くあってほしいという切実な願いをクリスマスにサンタさんに叶えてほしいと手紙を書いた子どもの歌になっていました……。そしてその手紙を読んだサンタさんが、その子を元気づけようとクリスマスの夜にトナカイのソリで一緒に世界中の空をドライブするというストーリーに、気がつけばなっていたのです。
ああ、あのお父さん、お母さんたちのうつむいた真顔よ!それを気にもとめない子どもたちの闊達さよ!
救いだったのは、わりかし軽快なノリの「サンタとドライブ」で子どもたちが一緒に歌って踊ってくれたことです。ひとまず明るい雰囲気にはなりました。会が終わってもずっと歌ってくれたので、「ねぇ、サンタさん」を歌ったときのような重暗い雰囲気はごまかされましたが、とんだ13月を演じてしまったこと今も心から反省しています。
最後に
あの日以来、「ねぇ、サンタさん」は封印してきましたが、その時の音源がせっかく残っているので、私がいかに焦ったか、私の気持ちになって聞いてみてください。意外と可愛い歌だと思うんだけどなぁ。