みなさん、こんにちは。熊谷優一です。
街角は様々な問いで溢れています。思い当たることはありませんか?本屋さんに並ぶ書籍、アーケー
ド内で聞こえてくる音楽、やがて暗黙の秩序が生じる無秩序な人の流れ、商店街で交わされる一見無
意味な会話。普段はなんとも思わないことに、ふと気がついてしまう時が……。
去年のちょうど今頃、私は烏龍茶のことで頭がいっぱいでした。
ゆったり過ごす時間 in 台北
きっかけはある烏龍茶屋さんでした。最近では年に2回ほど台湾を訪れているのですが、見たい食べたいところ、会いたい人も多くて、滞在中は忙しなく過ごすことが多かったのですが、一昨年はちょっとゆっくりと時間を過ごせるような場所に行ってみたかったんですよね。そこで、このブログでもおなじみの台中市(台湾)の明道中学というIB校で日本語を指導されている阿部公彦先生に助言を求めたところ、勧めていただいたのが、台北の永康街の入り口の近くにあるそのお茶屋さんでした。
てっきり喫茶店で、烏龍茶を飲みながら読書をするなどしてゆったりと時間を過ごせる喫茶店をイメージして訪れてみると、そういう意味のゆっくり時間を過ごす場所ではありませんでした。そこはズバリ茶葉を購入するという店だったからです
しかし、日本語が堪能な店の主人と烏龍茶の生産や煎れ方などの話を聞いたり、何種類かの烏龍茶を試飲させてもらいながら時間をかけて吟味しつつ、気に入った茶葉を求めるその過程は、まさにゆったりと過ごせる時間そのものでした。その店で味わったお茶は烏龍茶について私が知っていたことをすべて覆すような味わい高く、薫り深いもので、台湾烏龍茶の世界にまんまハマることになります。
一煎宇宙
このとき私が飲んだのは梨山という山の高いところで取れた烏龍茶でした。急須を温め、烏龍茶を入れ、沸騰したお湯を注いで約1分。まずは香聞杯という香りを楽しむための細長い椀に烏龍茶は注がれ、そこからすぐに茶杯に移し替えられます。
お茶を飲む前に、香聞杯に残った一番茶の匂いはまるで蘭の花のようでした。二番茶、三番茶と進むうちにそれは桃のような甘い香りに変化します。摩訶不思議!これが烏龍茶ですか?味も全然苦くない。芳醇な香りと絹織物のような口当たり。そこに私は宇宙を見ました。
かれこれ一時間半もの長い間、私はそのお茶屋さんで豊かな時間を過ごしました。梨山産の烏龍茶と初心者用の茶器一式を購入し、私は帰国したのですが、そこから私の烏龍茶に対する興味への無限ループが始まります。もう止まんないんですよね。こうなっちゃうと。
お茶を飲むことは人間にとってどんな意味があるというのか
片っ端から烏龍茶に関する本を読み漁り、烏龍茶について知りたい欲求と一体化します。そしてたどり着いたのが、「現代中国茶文化考」という本です。著者の王静先生のセミナーにも参加してお話を伺いました。このセミナーで今も印象に残っている王静先生から問いが頭から離れません。
「私たち人間はそもそもなぜお茶を飲むのでしょうか。そして今も飲み続けられているお茶とは、私たち人間にとって一体何なのでしょうか」
何だろうこの感じ。何だろうこの感じ。お茶を飲むことは人間にとってどんな意味があるというのでしょうか。お茶で戦争まで起きたことがあります。それほどまでにお茶に価値を見出すのはなんでだろう。
王静先生のこのときセミナーの模様は[Heroes] 中国茶研究科 王静先生でも書いています。もしよろしかったら御覧ください。
最後に
あれから約1年が経ちます。私の生活の中心に烏龍茶が占めるようになりました。実際に烏龍茶を栽培している農園にも、足を運びました。
私にとってお茶とは、結局のところコミュニケーションツールなんじゃないかと思います。自由に時を行き来しながら自分と向き合ったり、今はここにいない自分にまつわる人たちを想ったり、同じ時間を共に過ごす他者との対話や関係性を助けてくれたり……。
雨ニモ負ケズ。風ニモ負ケズ。雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケズ。茶葉ヲ買フノデハナク、茶葉二至ルマデノ過程ヲ買ヒ、心オキナク友と茶ヲ嗜ム。ソンナ大人二私ハナリタイ。
将来、私は件のお茶屋さんの畑の一角を私が一年間に飲む分でいいので、契約させてもらえないかなんて本気で考えるようになりました。しかし、いくらかかるんだろう……。
知りたい欲求はいくらでも探求できますが、探求によって至った欲望野望を実現させるのはまた別の次元ですね……。