皆さん、こんにちは。熊谷優一です。2017年2月25日にプレビューオープンして以来、たくさんの方々に読んでいただいているようです。ありがとうございます。おかげさまで当ブログは本日4月1日、公式にオープンする運びとなりました。
今後も、日本における国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)という教育プログラムの普及を目的に、様々な視点から情報を発信していきたいと思っています。
駄馬の夢
私の経歴を知る友人は、私のことを「駄馬中の駄馬」と呼びます。結構気に入っていますが、その駄馬にも駄馬なりの夢があります。
ひとつは、せっかく政府が日本の公教育にIBを導入すると決めたのですから、できるだけ多くの日本の子供たちに、その学びに挑戦する機会を提供することです。もうひとつは、IBというフィルターを通して日本の学校教育の実践を見直し、それをグローバル化することです。
さながら、「ラ・マンチャの駄馬」が歌う「The Impossible Dream」といったところでしょうか。今のところ「The Unreachable Dream」ですが、日本全国の日本語ディプロマ・プログラム(DP:Diploma Programme)の先生方、保護者のみなさん、生徒のみなさん、そして企業のみなさん、ぜひ手を携えてこの輪を広げていきましょう。
日本語DPの意義
日本の公教育で、日本語で、高校2年生から3年生を対象としたIBのDPを実施することの意義は、この国際基準の優れた教育プログラムを学ぶ生徒たちの層を広げることにあると私は思っています。
現在、私立高校だけでなく、私が勤めている筑波大学附属坂戸高等学校も含めて、いくつかの国公立の学校もIB校に認定されています。授業料は学校にもよりますが、日本の学校が提供するIBのプログラムは、世界的に見ても総じて安価です。予め設定された答えにたどり着く学びではなく、自ら考え、その時の自分なりの仮の答えを言語化するような学び方を求める子どもたちへの選択肢の一つになるでしょう。
プログラム自体は簡単ではありません。しかし、経済的に裕福でなくても、英語がネイティブ並みに話すことができなくても、日本で生まれ育った子供たちがこのプログラムに挑戦することができる環境が整いつつあります。そして近い将来、現在のIB認定校の実践が日本全国津々浦々の学校に普及し、日本の教育をさらに豊かにしてくれると期待しています。
日本の学校教育のグローバル化
「国際」とか「グローバル」と聞くと、まるで日本の教育がこれまでやってきたことは、西洋と比べて劣っていると何だか身構えてしまいます。でも、よく考えてみてください。日本の伝統的学校教育にも、いいところはたくさんあります。
東日本大震災当時、学校教育を通して培われた有形無形のスキームが、様々な人たちが暮らす空間で果たした役割は大きかったと多くの人が感じたはずです。
長引く避難所生活で人々は掃除を分担し、衛生状態を保つことができました。日本の学校に毎日掃除の時間があったから、掃除をすることが当然のように行動したのです。
私の故郷、気仙沼は津波だけでなく、火災でも大きな被害を受けました。一瞬にして家も職場もなくした大人たちは、その後の生活を思い、惨憺たる気持ちになりました。「ファイト新聞」という壁新聞をある小学生のグループが作ったのはそんなときです。彼らは彼らなりに、避難所の雰囲気を少しでも明るくしようと手作りの新聞を発行しました。自分たちが悲嘆にくれていてはいけない。大人たちは目頭を熱くしました。
所属するコミュニティに何らかの形で参加するというスキームは、班活動や部活動、委員会活動など小さなグループで行った数々の体験を通して、私たちは学校で身に着けたものです。
IBというフィルターを通して、他にも日本の教育がこれまで行ってきたことを見直してみれば、たくさんの気付きがあるはずです。直面している課題も少なくありません。でも、いいところはいいところとして、次の世代にだけでなく、他の国々にも伝えていく責任が国際社会の一員として、私たちにはあることを忘れてはいけません。どこかの国で予期せぬ災害が起こったとき、日本の叡智が多くの人々の命を救うことにつながるかもしれません。
最後に
日本語DPはまだ始まったばかりです。日本の一条校(学校教育法第一条に定められている学校)でIBDPの認定を受けている学校は17校にすぎません。日本語DPの質を疑問視する向きもまだ根強くあります。
今後、日本語DPの質的保証となるエビデンスを見せていかなければ、信頼を得ることはできません。だからこそ、日本語DPにかかわる多くの人の知恵を借りて、実践例を持ち寄り、検証していくことが必要です。そのきっかけとして、当ブログ(今からIBをはじめる君へ)が少しでも役に立てたらうれしいです。