街角TOK:ガチャピンが歌う『ファイト!』を聴け

皆さん、こんにちは。熊谷優一です。しばらくの間、ブログの投稿は不定期で、しかも随分間も空いていましたが、今月は以前と同じく5日ごとにリリースします。なんたって、お祭りですからね。

今月は「ToKtober Fest」と称して、これまで当ブログ(チノメザメ)で取り上げてきた「知の理論(国際バカロレア・ディプロマプログラムの世界必修科目)」の視点をもう一度振り返ります。「ToKtober Fest」はドイツ語で10月を表す「Oktober」に由来し、語頭に「T」をつけて「TOK(Theory of Knowledge:知の理論)」のお祭りっぽくしようと思って始めました。

今年は4月にコンサートに行って以来、歌詞カードを見ながら、ちゃんと聞くようになった中島みゆきをテーマにしました。中島みゆきはIBプログラムの文学の作家リストに入っている唯一の日本人シンガーソングライターです。文学なので対象は彼女が歌で書いている言葉と世界です。 作品の世界が歌い手の表現によって全然違って聞こえるから楽曲や演劇などのパフォーミングアーツって面白いですよね。

正直、もういい

中島みゆきの歌は数多くの歌手にカバーされていますよね。中でも多くカバーされているのが、『糸』とう曲です。真面目にもういいよって思うほど、カバーされています。正直、食傷気味です。他にもいっぱいいい歌があるのに、なぜに皆こぞって『糸』を歌うのでしょう。

『ファイト!』もよくカバーされていますね。1990年代にCMでサビの部分が放送されましたが、応援歌だと思って聞くと、結構メンタルがやられるので注意が必要な歌です。初めて聴いた時、私は真面目に辛くなりました。

中卒だから仕事をもらえないと手紙を書いたあたし。ガキのくせにと大人に殴られた少年。駅の階段で子供を突き飛ばした女を見ても何もできずにその場を逃げ去った女性。

J-POPからTOKを考える。今回は「知識と言語」の観点から中島みゆきの「ファイト」を考察しています。

この歌には傷ついたたくさんの人達が描かれており、異なる一人称、異なる語尾で登場人物は自分を語ります。したがって、歌い手にとって多数の登場人物や歌そのもの主人公を歌い分けたり、その人の状況に応じて応援の仕方を微妙に変えて表現するのって激ムズだと思います。また、語るか歌うかどっちなのっていうメロディ。

それをカバーするというのですから、こりゃ歌い手にとっては挑戦でしょうね。『ファイト!』のカヴァーを楽しめるのはその挑戦を聞きたいからなのかもしれません。

ガチャピンが本気でファイトって伝えている

これまで聴いてきた『ファイト!』のカバーの中で、一番自然でいいなと思ったのが吉田拓郎が何かのライブでピアノで弾き語りをしたバージョンでした。正直、最初に聞いた時は吉田拓郎の歌だと思いました。中島みゆきの『ファイト!』は拓郎のカバーだったっけって調べたほどでした。

それを聴いたもんだから、他の歌手のカバーが何だかぎこちなく聞こえて、挑戦は見えるものの、こなれてない感じがしていたんです。しかし、見つけました!『ファイト!』の歌の世界を主体として伝える歌い手を。それが、ガチャピンです。

私、ちょっと泣きそうになりましたもん。ガチャピンが歌う『ファイト!』に。ガチャピンが懸命に、歌に出てくる登場人物たちに伝えている(ように聞こえる)んです、ファイトって。本気で伝えている(ように聞こえる)んです、ファイトって。その声で、体で、表情で。よくよくガチャピンの表情を見ると、目の動きが歌声にピッタリハマっている(ように見える)んです。

バイブスがハマった

好みの問題なんでしょうか。若い人は「バイブス」がハマったとかって言いますが、同じ歌を歌っているのに、ある人が歌う「ファイト!」は胸に響いて、ある人が歌う「ファイト!」にはピンとこなかったりするのは、好みも問題もあるでしょうが、単に歌が上手とか下手とかといったこと以外に何が原因しているのでしょうか。

私は「ファイト!」を歌うガチャピンの、特にうつむいて歌う表情が何とも切実に「ファイト!」って歌いかけてくれているようでグッときたのですが、この感情の正体は何ですか?誰か、教えて。どうすればそれを知ることができるのでしょうか。どこかに自分を投影できる何かを感じたからなのでしょうか。

野暮なことを言いますが、ガチャピンはぬいぐるみなわけです。声優さんが歌っているのです。百も承知でこの歌を聴いて、私はガチャピンが「ファイト!」って歌ってる姿の感動を覚えるのです。

最後に

最近、ChatGTPこれってAIが感情を持っていると勘違いする人がいるという話を聞きましたが、AIは感情を持っていません。最近、セラピーでも用いられているという声を出すロボットやペット型のロボットに人は親しみを感じたり、愛おしいと思ったりするとテレビで見ましたが、私がガチャピンが歌う『ファイト!』が心に響いたというのに等しい認知の危うさなのかとちょっと不安になりました。

日本の文化って擬人化したがるところがありますし、人間の脳はには3つの点が集まった図形を人の顔と見るような脳の働き(シミュラクラ現象)があるのはわかるのですが、AIに感情があると判断するのはなんだかとても危ない気がしています。

ちなみに、うちのAlexaに「Alexa、もしかして怒ってる?」と聞いたら、丁寧に「私はAIなので怒ったり、イライラすることはありません。あなたのお手伝いができたら嬉しいです」と答えてくれました。「嬉しい」って感情だよなって、いまいち腑に落ちないものの、「話しかけられるのを楽しみにしています」と言っているので、負の感情はないから利用してデータを収集しようという魂胆なんだなと疑いつつ、AIにしても言葉で全てをありのままに伝えるのは簡単ではないことだと言語の限界みたいなものを感じました。

というわけで、今日はガチャピンはフィクションだって知っていて感動する分には良くない?ってところで終わっておきます。