ToKtober Fest 2021全6回中の第4回の今回は、随分前に阿部富子先生に書いていただいた内容を再編集してお送りします。このお話は池田学さんの「誕生」という作品について、熊谷と当時と生徒たちとのやりとりへの振り返りとなっています。合わせてご覧いただければと思います。
奇跡ではない方の松
鹿間君の感想、第一声の「奇跡の一本松を思い出した」の所でまず、いったんとまりました。岩手県陸前高田市にある高田松原の70,000本の松の木から唯一波に耐え抜いた奇跡の一本松。私たちの多くは、震災に負けない希望をこの松から感じたのは事実です。しかし、異なった見方もあります。
震災後、フォトジャーナリストの安田菜月さんは、なかなかカメラを構える気持ちになれなかった際、最初に撮影したのがこの奇跡の一本松だったそうです。陸前高田に暮らしていた義父にその写真を見せたら、「なぜ、こんな海のそばまで近付いたんだ。」と、怒鳴られてハッとしたと語っています。安田さん自身は、被災地の人ではありません。
お義父さんからしてみれば、その写真があの津波の恐怖を思い出させることになったかもしれません。そして、そこで生活していた人たちにとっては、流された69,999本の松の木のイメージが強く残っています。一本残った松ではなく、そこに松原があったことに人々は想い馳せていたのです。
フォトジャーナリストの葛藤
写真を何枚撮ったところで、被災地の人々の復興に役立つわけではないと知った時の、フォトジャーナリストとしての葛藤。それでも安田さんは震災の年に、陸前高田市のある小学校の入学式で記念撮影の手伝いを始めたときから、ファインダー越しに東北を、自分ができることを見つめ続けました。
カメラマンだから撮ってもいい、ジャーナリストだから踏み込んでもいいという態度では、人の心を痛めつけるような伝え方しかできない。フォトジャーナリストとして、自分がどのような態度で被災地の人々と向き合うべきなのか、宙ぶらりんの苦しい気持ちのままだけれども、地域に寄り添いながら震災を伝えるというか、手渡していきたい。体験した者が語り継ぐだけでなく、外部の人間だからこそ語れる視点があるのではないか。
なるほど。手渡すと表現されると、顔と顔が見える、距離感もぐっと詰まるようなイメージを持てますよね。先月開催された仙台防災フォー ラムに参加して、そんな風に感じました。
相反するという調和
さて、池田学作品集を手にして……。第一印象は想像以上にキョウレツで、光の届かない海の底の底まで引きずりこまれる感覚でした。すごく息苦しくなりました。何度も繰り返し、見ているうちに、少しは見れるようになれましたが…正直、まだうまく咀嚼できてはいません。
「誕生」と題された作品に描かれる瓦礫の花…。作品の奥に見えたのは…
泥をかぶり、原型を崩したのを目にしたその瞬間から、瓦礫と呼び名が変わった日常の生活でフツウに家の中にあった様々な生活用品。表現のしようがないほど悲しくなった感覚。
震災の翌日、何事も無かったように、キラキラ輝いていた海の水面…。ひっきりなしにカタチを変える波。自由奔放な波。適当に見えて結構規則的に動いている波。形の宝庫。動きの宝庫。その喧噪の下にある深く静かな世界。静と動との間でひろがるイメージ。
池田さんは、「細密に表現するという行為は、大きな立体感を生み出すための必要不可欠なプロセスだ」と言っています。
最後に
この前、病院の待合室でラッセンの波のリトグラフを見ました。波の迫力に対して空の穏やかなこと。何だかいてもたってもいられなくて、帰宅して日本画家である千住博さんの作品集『千住博の滝以外』を開きました。
その本に収録されている美輪明宏さんとの「美と神と人間と」というテーマの対談があります。
千住さんは、「美というのは、人間が感じるから美なのではなく、人間が見ようが見まいが存在している。」と言っています。また、「見えるものだけが美ではなく、同時に匂いであり、音であり、手触りであり、五感で感じるもの。美とは要するに空気であり、雰囲気であり、実は立体だ。」とも。
7年ほど前から臨床美術を勉強しています。例えばリンゴひとつ描くとしても、その過程にはTOKで言うところの「知の領域」と「知るための方法」が応用されています。そこにあるリンゴをただデッサンするだけはなく、どんな味がするのか、どんな香りを放っているか、どんな堅さをしているか、その場には風はどう吹き、光はどう当たっているか、などなど五感をフルに活用して作品を創作する中で、たくさんの「チノメザメ」があります。
IBの資格を取らない人でもこんな学びがあったら、今盛んに言われている批判的思考力とか、論理的思考力は鍛えられるにちがいありません。