みなさん、こんにちは。熊谷優一です。2017年5月3日に松岡航君を交えて、久々にEnglish Caravanを開きました。今回はその模様をお伝えし、次回は参加した生徒たちのエントリーを2回に渡って、4回目はそれを観察していた航君、そして今回のトピックのヒントをくれた阿部富子先生からの助言と5回シリーズでお送ります。
まずもって言いたいのは、大学生になった彼らの英語力が明らかに落ちていること。これには私もガックリきました。外国語は使用頻度が落ちると途端に運用力は落ちますから、普段から意識して使うように心がけてほしいと思います。
前半戦
今回は「リンゴ」をキーワードにセッションを組み立ててみました。内容は以下の通りです。みなさんも、想像しながら、今回のセッションを追体験していただけたらうれしいです。
1. リンゴを1つ思い浮かべ、それを英語で描写する
2. 1人ずつそれを発表し、誰か他の生徒が英語で説明されたリンゴをホワイトボードに書く
3. 説明されたリンゴについて質疑応答・分析する
リンゴを語る
まず、生徒はリンゴを1つ思い浮かべ、それを英語で説明するため、5分間それぞれに考え、発表する準備をします。そして1人ずつ順番に発表していきました。その隣に座っていた生徒がホワイトボードに説明されたとおりにリンゴを描いていきます。
リンゴを思い浮かべて描写するといっても、そもそも思い浮かべるリンゴがそれぞれ異なっているでしょうし、描写するポイントや方法、そしてどの言葉をセレクトするか、などなどたった6人しかいないにもかかわらず、多様性と個性が見えました。
大概の説明は、リンゴの形、色、大きさが含まれています。そのほとんどは外観に関する描写でした。リンゴの中身、味、産地、値段、リンゴと関係がある逸話などの付加的描写はそれぞれ異なった生徒からのものです。そのリンゴは手つかずまま、テーブルに置かれた状態のリンゴでした。食べかけのリンゴを説明した生徒が1人だけいます。
リンゴの形は完璧な円というものあり、歪な円形というものありましたが、丸っこいというのが多数を占めています。色は赤がほとんどでしたが、赤味には深みがあったり、血の色のようだったり、光っていたり、スポットがあったりしました。青いリンゴを描いたのは1人だけでした。大きさは野球ボールの1.5倍程度、自分の握りこぶしよりも少し大きいくらいで、極端に大きかったり、小さかったりするものはありませんでした。
あとは聖書の話や、アップル社の話、アラン・チューリングの話などが出てきました。
どのような知識が応用されていたか
次に、リンゴを思い浮かべてそれを言葉で描写したとき、彼らがどのような既存の知識を応用したのかについて考えてみました。彼らが描写したのは、「食べられるリンゴ」です。そして、重力の法則に則って置かています。産地は青森を含む北日本だろうとのことでした。
彼らが描いたリンゴは彼らの日常生活と深く関係しています。日常生活でリンゴを見た、食べた、匂った、買ったという経験の中から体系化されたものです。そしてそのリンゴに関して体系化された知識をもとに、リンゴを想像し、記憶を呼び起こし、言語で表したものです。言語で表された、例えば、色を取り上げると、非常に感覚的に色をとらえ、描写しているのがわかります。
このように、彼らはリンゴひとつとっても、様々な知識を応用して描写していることがわかります。
長くなってしまうので、後半戦の話は次回に回したいと思います。
振り返り
English Caravanでは、まとめに以下の項目について確認して終わることにしています。
1. 「10の学習者像」のうち、本セッションはどの要素を自分では意識したか。
2. 「学習のアプローチ」のうち、本セッションで自分はどのようなスキルを意識したか。
3. 「指導のアプローチ」のうち、先生はどのような授業を意識して行ったか。
4. 「知の領域」のうち、本セッションの内容はどの領域と関連性があったか。
5. 「知るための方法」のうち、本セッションの内容はどの方法と関連性があったか。
衝撃だったのは、「10の学習者像」のうち「Riske-takers」に誰もチェックを入れなかったことです。人前で自分の意見を言うのって、かなりリスキーではありませんか?生徒たちは、「もはや別にリスクだとは思っていない」そうで、「安心して話せる」と言っていました。
そこで、なんで安心して話せるのかと聞こうとしたところ、「それ、共有された知識に持っていくんでしょう」と先を読まれてしまいました。でも、彼らは何かきっかけがあって、自分の話をしても、尊重して聞いてもらえてると実感しているのは間違いありません。しかも英語で話しているから、完璧でない状態を晒すことになりますしね。
今回のセッションは6名が参加し、約1時間半でした。終わってから、やっぱりいつものように、「さっきの話なんだけどさ…」となぜ安心して話せるのかについて、自分たちが何を共有できているのかについて、それをどう確認できたかについて、永遠に近いくらい話していました。
セッションの途中から、まるで私がその辺の草木のように、いないも同然に扱われているようで、ちょっと寂しかったです。