街角は様々な問いで溢れています。本屋に並ぶ書籍、アーケードで聞こえてくる音楽、やがて暗黙の秩序が生じる無秩序な人の流れ、商店街で交わされる一見無意味な会話。普段はなんとも思わないことがふと気になりだしたら、それが私たちの「知の目覚め」の合図です。
ToKtober Fest 2021最終回は松岡が熊谷の課外授業に参加したときの振り返りを取りあげます。
「授業的」な指導は最低限
みなさん、こんにちは。松岡航です。この間、筑坂で優一さんの課外授業、English Caravanに参加しました。
参加と言っても、生徒たちと同じような頻度で発言したわけではありませんし、優一さんの側に立って、議論の潤滑油となっていたわけではありません。今回は、先生ではない私の目線で気付いたことを書きたいと思います。
一般的に英語を使って議論などをする場合、学校の先生は文法ミスや語彙選択の指摘、発音の指導などがメインだと思います。しかしEnglish Caravanで優一さんは、そのような授業的な指導は多く行いません。生徒が話している最中に、出てこない単語を言う程度です。
というのもこの課外授業では、英語というコミュニケーションツールを使って自分の意見を言う、相手の意見を聞く、そして議論するということで学ぶ課外授業です。「英語を話すこと」を目的としていないのです。誤解を恐れずに極端に言ってしまうと、「通じれば良い」わけです。なのでこの場合、いわゆる学校の授業的な指導は、必ずしも必要ではありません。
日本の義務教育はちゃんとしている
日本は英語の文法学習においては、世界でもトップクラスだと私は考えています。イングランドで戦うサッカー日本代表の吉田麻也選手も、インタビューで英語の勉強方法について語っている中で、こう言っています。
「日本の義務教育って、やっぱりちゃんとしているんですよ。特に文法。僕は中学の頃から、英語だけは勉強していたから、文法はわりと頭に入っている。例えば中学で習う『too~to……』で、『~すぎて……できない』とか。日本で義務教育を受けた人ならば、誰でも知っている文法だけど、これが役立つんです。
-長谷部誠「マヤ、お前なら余裕だ」“吉田史上最高”の時が訪れた理由。より-
必ず与えるフィードバック
しかし「話す、聞く」ということを考えると、決してトップクラスであるとは言えないと思います。それは、圧倒的に英語で会話する機会が少ないために起こると考えています。
当ブログに寄稿し、今回の課外授業に参加している生徒たちは、いわゆる偏差値が高いタイプの学習者ではないと優一さんは言っていました。しかしそんな彼らにとっては英語で話し、聞くことは既にリスクではないのです。これは、この課外授業での成果ではないでしょうか。そして日本の優れた英語学習に、思考し、それをアウトプットするIBのエッセンスを加える。それだけで可能性が大きく広がることを示していると私は考えます。
議論の最後に、優一さんは必ずフィードバックを各生徒に与えます。といっても、先で上げた「授業的」なフィードバックは行いません。優一さんが与えるフィードバック、それはEnglish Caravanに参加する生徒そのもののフィードバックです。
具体的には、
クマユウ:参加し始めた当初は、泣きそうな顔してたもんな。
生徒A:あの時は日本語で自分の考えを話すのも大変だったのに、英語で話すなんて考えられなかったですよ。英語に自信あったのに、みんなの話が全くわからなくて、初回で心が折れそうになりました。
クマユウ:でも今はそんなことないだろ?
という感じで、このように各生徒がこの課外授業に参加した当初どうだったか、そして今どう変わったかなどを生徒自身から引き出していました。
学校の指導的なフィードバックも、成長を自覚するためには必要だと思います。しかし、この課外授業に参加する彼らはきっと家に帰って、この単語がわからなかった、思い付かなかった、もっと適した言い方があったのでないか、こういう考え方もあったななんて考え、自分たちでフィードバック出来ていることと思います。
使える英単語が増えた、時制を間違えなくなった等と違って、自分の変化というか、成長って、時に気付き辛いですよね。だけど成長を自覚することは、優一さんが言うポジティブな振り返りに当たるのかなと思います。
最後に
今回のEnglish Caravanの最中、私が園児の時に幼稚園でした塗り絵について思い出しました。それは人の形をした下絵に、自分が着たい服を描いてみようという活動の中でのものだったと思います。
私は下絵の人全身を緑で塗りつぶし、青いハチマキを着せ、背中には亀の甲羅を背負わせました。そして両手には刀を一本ずつ…もう気付かれている方もいらっしゃると思います。私は当時アニメで放送されていた、ミュータント・タートルズがとても好きでした。そしてその中でも特にお気に入りだった、レオナルドというキャラクターを模したのです。
恐らく…というか確実に、先生が意図としていないものを描いただろうなと思います。しかし先生はその絵を、「それかっこいいね!」と褒めてくれました。そして会話する中で、これは何を模して描いたのか、他のキャラクターではなくて、なぜレオナルドを好きになったのか、レオナルドの好きなエピソードなどを私から引き出してくれたのを覚えています。
阿部富子先生もおっしゃているように、一方的に大人がこどもたちの問いや疑問や興味を否定するのではなく、まず話を聞いてみようかという姿勢って子どもにとっては何よりの学びのモチベーションにつがるのではないでしょうか。