13月とお遊戯会の奇跡

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。先日、幼稚園のときの先生から台風の被害はなかったかと電話をいただきました。そして、「優ちゃん、元気?飴っこ買ってあげっから、たまには気仙沼に帰ってだいん」と、あれからもう40年たっているというのに、相変わらず幼稚園児扱いされました……。

しかし、こんな風に先生も子どもも一緒に年をとって、何十年にも渡って関係が続いていくというのは田舎ならではなぁと、久しぶりにゆっくり帰省したくなりました。先生も私とおんなじ年数分年齢を重ねているので、結構なお年だと思うのですが、声を聞く限り、全くパワーが衰えておらず、「恐るべし!」と唸りました。大人になっても付き合いが続く前提で私が生徒と接するのはこういった文化の中で育ったからかもしれません。

さて、3ヶ月に一度、私と私の祖母のエピソードを中心にお送りしているこのシリーズ。今回は蛇にまつわる幼稚園のお遊戯会での出来事を取りげます。

劇を作る

子どもって時に残酷ですよね。今となっては、どうしてそんなことができたのかと、ゾッとすることがありませんか?かくいう私は友人らと幼稚園の隣のお寺の石段に巣を作っていた無抵抗な蛇の一家にいたずらすることをよく先生に咎められました。

そんな私に幼稚園の先生が秋のお遊戯会の劇の脚本を書かないかと持ちかけます。私は何も考えず、引き受けることにしましたが、何を書いていいのかわからない。そこで先生が提案したのが、蛇の子どもをいじめる人間の子どもたちの話です。先生は私に蛇のお父さんの役を演じるように言い添えました。

もう先生の思うつぼ。私が子どもたちからいじめられている蛇の父親役をやるという自作自演のあて書きになりました。お話自体は悪意のない人間の子どもたちの蛇の子どもたちいじめに対し、親蛇が出ていって子どもたちを脅かし、最終的には共存を目指すという玉虫色の解決を見るという結末に落ち着いたように思いますが、私個人に関して言えば、ものすごい衝撃を持ってお遊戯会の終焉を迎えます。

蛇の一家に対してなんてひどいことをしたのだろう。私は劇が終わる頃には涙で視界が滲んでいました。

私という一個人の原風景

自分以外の誰か別の人の立場になってみるというのは私にとっては電撃的な経験でした。立場が変わればこんなにも見える世界は違うのかと。思えば私にとってメタ認知のメザメがあったのはこの瞬間だったのではないかと思います。

自分が実際にお寺の石段に巣をくっていた蛇の一家を何気なしにいじめていたこと。人間の子供が蛇の子どもをいじめるという劇を作り、共存を目指す結末を迎えたこと。その劇で蛇の父親を演じることにより自分以外の視点を得たこと。強者と弱者の関係性。劇が終わったときの不思議な浮遊感は強烈な感情の揺れとともに私という一個人の原風景を形成しています。

シアターラーニング

シアターラーニングという演劇的手法を用いた学習の意味と意義は随分昔から様々な人が伝えています。岡田陽が著した「ドラマと全人教育」は入手困難ですが読みやすくてオススメです。

岡田陽さんは坪内逍遥や小原國芳らのメタ認知を養い、アイデンティティを形成する上で芸術を通した創作活動の有効性を紹介しながら、「自由主義的な世界観を持ち、児童尊重の教育観に基づいて展開された大正芸術運動は誠に新鮮であり、児童の世紀にふさわしく、まさに魅力あふれるものであったから、みるみるうちに全国的な拡がりを見せた(前述、p.20)。」と述べています。

学習者が主体的に創作活動に参加する仕組みを作る上で演劇的アプローチは力を発揮します。何も大作を上演することを目指さなくてもいいんです。ロールプレイなど普段の授業でも、家庭でも即興で獲得した知識を創作する過程で再構築するチャンスはいくらでもあります。

「~になったつもりで○○してみる」「~だったらどんな○○をするだろう」といった問いや大喜利なんかは比較的取り組みやすいのではないでしょうか。

最後に

大学のときはシャイクスピアの作品を年に一回上映するサークルに入っていました。教員になってからは2本のミュージカルを上演しました。授業ではスキットを取り入れたり、演劇的手法を用いた教育活動はいつの間にか私のスタンダードになっています。

そういえば、たくさんの地元のみなさんの支援を受けて、初任時代に「鎌田記念ホール」というところで、「泣かないで」「サイゴンの夜はふけて」という2本のミュージカルを上演しました。鹿島台町(現大崎市)は先日の台風で大きな被害を受けたそうです。ホール付近も浸水したとまもなく40歳を迎える当時の生徒たちから聞き、心を痛めています。

被災したみなさんに心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を願うとともに、一安心したときに疲れが一気に出てきますので、くれぐれも心と体にご自愛ください。