皆さんこんにちは。武蔵野大学日本語コミュニケーション学科の浅見昌弘です。
再スタートを切ったこのブログでもまた寄稿させていただくことになりました。私も毎回アップされる記事を楽しみにしています。
今年度からキャンパスが有明に移りました。大学周辺には東京ビッグサイトやお台場など商業施設が満載です。田舎者の私には刺激が強すぎるくらいです。授業も大きく変わりました。今年から本格的に日本語教育科目が始まりました。日本語教授法や第二言語習得理論など専門的な授業ばかりです。
今回は第二言語習得理論の授業を主にお話していきます
言語を習得するとは
第二言語習得理論という学問分野は簡単に言うと「外国語を学ぶときのメカニズムを明らかにすること」です。毎週自身の外国語学習を振り返りながら学んでいます。
ここで皆さんに考えてみてほしいことがあります。
ある言語を完璧に習得した状態は存在すると思いますか?またその完璧な状態があるならば、基準は何でしょうか?
私たちが英語やそのほかの言語を外国語として学ぶときに何かしらの目標を立てます。例えばTOEICのフルスコアや英検一級などの客観的な基準があります。ただそうした資格を持っていても外国人と話せないこともあります。
ネイティブスピーカーはどうでしょうか?一般的にネイティブはその言語の熟達者という意味で用いられます。しかし日本では若者の国語力の低さがニュースで取り上げられています。日本人であっても日本語を完璧に使いこなせません。
ボキャブラリーに至っては完璧に習得するのは不可能でしょう。例えば最新版の広辞苑はご存知の通りとてつもなく分厚いです。それらすべてを覚えきれるのは人工知能くらいでしょうか。また言語というものは新たに生まれたり、変化したりするものです。日本語で言えば、JK用語(スノる、卍等)のように日に日に進化、生産されています。ドラえもんの暗記パンに換算すると何枚必要なのでしょう?
先生の答え
この質問を授業のあとに聞いてみました。先生曰く、ネイティブスピーカーは「ある程度」習得した状態であるとのことでした。そして言語の完全習得はないのかもしれないとの見解でした。
この答えは理解はできますが、あまり納得できないというのが私の本音です。専門家であってもこの質問を的確にこたえることは難しいのかもしれません。
この問いを結論付けるためにはより多くの専門家や別の学問分野からのアプローチが必要でしょう。思いつく限りでは人間科学や脳科学、情報工学などのアプローチが考えられます。皆さんだったら、どのようにこの問いを検証しますか?
最後に…といきたいところですが…
今回は授業の中で考えていたことを皆さんにご紹介しました。やはり自分の思考を言語化することは骨が折れますね。でも最近はこのような活動をしていなかったので良いトレーニングになりました。
母国語である日本語は知らず知らずのうちに身につけた知識です。例えば助詞の「は」と「が」の使い分けです。私たちは感覚的に使いこなせますが、その判断基準を説明することは難しいと思います。これを暗示的知識といいます。日本語とは何か、それを意識レベルに落とし込んで言語化することは日本語教師に必要なことだと思います。
長々と拙い文章を読んでいただきありがとうございました……と言いたいところですが、このエントリーの初稿をクマユウに送ったところ、すぐさま質問が返り飛んできました。(笑)
先生はまず、私に次の3つ質問しました。
1. ある言語を習得したという状態を定義することは可能か。
2. その定義はどのようなプロセスを経て決定されるか。
3. そもそも言語とは何か。
それに対して私は次のように答えました。
1と2には、ある言語を習得したという基準されあれば、その状態を定義することは可能だ。3に対しては、言語とは思考を表現するものである。
クマユウはさっそく掘り下げてきます。
4. 基準は誰が作るの?
5. 思考を表現するのは言語だけ?
くっそー!なかなか難しい質問です。
4は、完璧でない基準は英検のようなテストだが、完璧を求める場合は現時点では誰も基準を作れない。5は、絵で表現することもできる。漢字も元は絵だった(これを表意文字といいます)。
最後に
そういえば、熊谷先生が私の名前の漢字の意味を教えてくれたことがあるんです。それは以前私が英検2級取得直後に参加したEnglish Caravanという熊谷先生が主催する課外授業で、泣きじゃくったときのことです。
私の下の名前は昌弘といいます。「昌」には「目立つ」という意味が、「弘」には「広げる、大きく見せる」という意味があるそうです。つまり私は目立ちたい、自分を大きく見せたいという欲求があるみたいです。どんな占いよりも当たっていると思います。実際以上に大きく見せようとした結果、私はあの授業に全くついていけていない自分に衝撃を受けました。
熊谷先生は漢文学者の白川静さんという方を尊敬しているそうです。おそらく彼の影響で漢字が好きなのでしょう。「漢字は宇宙」とか、「漢字はロマン」とよく豪語していました。
熊谷先生は日本語教師をやっていたこともあります。だから先生と話していると、私が学んでいることに直結するような知識の領域が広がるのです。今はまだクマユウにギャフンと言わされてばかりですが、いつか先生を超えたいと思います。弟子は師を超えるものですからね(笑)。先生もきっとその日を心待ちにしていることでしょう。
ここまで読んでくださりありがとうございました。とにかく勉強が足りない。書いていてそう実感しました。でも、これからです。私のこれからをどうぞ見ていてください。