9月29日、仙台に行ってきました。
宮城県仙台市で、『Most Likely to Succeed』という教育に関する映画の上映会を開催しました。北は宮城県気仙沼市から、南は福島県からも足を運んでいただき、そして高校生、先生方、塾の経営者、企業の方と様々な背景を持った方々が参加されました。
30年後に現在の学校からなくなっているもの
こんにちは。熊谷優一です。映画の上映後は、参加者全員で「これからの学校教育」についていくつかのトピックでディスカッションしました。今回はその中で、「30年後に現在の学校からなくなっているもの(ひと)」についての話し合いが面白かったので、そのディスカッションの模様を取り上げようと思います。
このトピックは、現在自分が考える学校教育では優先度が低いものがピックアップされる傾向があります。30年後という時代を読むためには、現代という時代を捉えているかが反映されます。
参加されたみなさんがあげたものに共通していたのは、急速に進むグローバル化、Society5.0の到来に伴う知識の再構造化でした。私たちのコミュニティーには多様な文化背景を持った人々が暮らし始め、その流れはどんどん加速しています。ICT化が進み、産業革命以降の知識とその伝達方法は大きく変化しました。
黒板、教科書、通知表などなど、上げられるものは具体的なモノが多かったのですが、もう少し掘り下げてみると、そこには30年後の学校でなくなっているコトが浮かび上がってきました。知識を伝達する教え方から知識を繋ぎ合わせて新たな知識を再構築することを可能にする教え方へ、計測可能なものに限定した学力評価から創造性や複眼的思考力を含む学力評価へ、などなど。
この議論を通して、ピックアップしたモノの裏側に自分たちの現代の教育について自分はどの考えていたのか理解できたようでした。
日本人の英語の先生はいてほしい
この上映会には高校生がひとり参加していました。大人たちに交じって、臆することなく自分の考えを表明する姿は頼もしく、現役の学習者の視点を得ることで先生たちも、なるほどと唸る場面が多々見られました。
彼のグループには英語の先生が2人いました。英会話の業界でAIの先生が登場したこと、ネイティブの先生でなくては目標言語を指導しきれないことを理由に、30年後に学校から日本人の英語の先生はいなくなるのではと懸念を述べたときのことです。
「僕は日本人の英語の先生から学びたい。日本人の英語の先生はいてほしいなぁ」
彼はそう呟きました。日本人の先生は、どういったところで苦労したとか、それをどのように克服したとか、そういったことまで教えてくれるし、それが学習者として励みになる。感情的に共感もできる。AIとは感情を交わすことは出来ないし、母語が異なるネイティブの先生ではわかってもらえないところもあるけれど、日本人の先生にはこっちの気持ちをダイレクトにわかってもらえる。だからいてほしい、と。効率よく、成果を出せるような学習も大切だけど、生身の人間同士の感情のやり取りのなかに彼は真の学びがあると考えているようでした。
一英語の教員として私もそれを聞いてうれしくなりました。同じ母語話者として、英語学習の先輩って位置付けなんですね。英語学習のロールモデルとして日本人の英語の先生を見ているという彼の視点は英語教育の足場をもう一度確認することに繋がりました。
The Great Challenge
さて、実はこの上映会では予期せぬ再会が待っていました。私がこのブログを始めるきっかけになった出会いを取り上げたことがあるので、覚えている方もいらっしゃると思います。
バンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学で行われたイベントにゲストスピーカーに招かれたのがすべての始まりでした。2012年3月12日のことです。「Re-think」と題されたそのイベントでは東日本大震災とは何だったのか、もう一度振り返ろうと企画され、私が被災地である気仙沼出身ということもあり、震災後、気仙沼出身者が7か国語で世界に被災地で起こっていることを発信するFacebookページを作ったことを発表しました。
その時の問題意識は、私が国際バカロレアというヨーロッパ由来の教育プログラムを日本の公教育で実施する理由と重なります。その枠で日本の取り組み、叡智をグローバル社会に発信することにより、国際社会の一員として責任を果たすことにあります。予期せぬ災害はいつ何時、どこで起こるかわかりません。その時に失われる命を最小限にとどめるために、人類はどのような準備をしなければならないのか。東日本大震災で世界中から支援を得た私たちは、その経験から学んだことを世界の人々がわかる形で発信しなければならないと思ったのです。
その時のスピーチはバンクーバー新報という日系の新聞で記事になりました。そしてその取材をされた記者の方が帰国して、現在宮城県で中学校の先生をしており、今回の映画の上映会にいらしていたのです。
最後に
上映後、「あの時のこと、よく覚えていますよ」と声をかけていただきました。私は、「こんなことって起こりうるんだ!」と一瞬言葉を失いました。だってそうじゃないですか。全く意図していなかっただけに、この偶然の再会に私はなんだか泣きたくなりました。
すぐに、航くんにこのことを報告すると、彼は淡々と「起こりうるでしょう、生きてんだから」くらいのテンションなんですよ。その反応に「ちぇっ、つまんねーの」と心の中で悪態をつきながらも、一応は再会を喜んでくれた航くんと、「オレたちの出会いと再会も同じ感じだったね」と笑いました。
あの時は私は悲しみの真っ最中。一緒に悲しみつつも、何とか人生を投げ出さずに、今日まで生きてこれました。そして現在、学校を作るという人生最大の挑戦をしています。自分でも整理できない感情ばかりですが、時を経て、その感情と誰かの感情が交差するとき、「人生は面白い」って一瞬思えます。
人間の先生が学校にいること。その先生は完璧では決してないけれど、その先生の挫折や成功や苦労や喜びや情熱を通して生徒たちは学ぶんだと思います。うまくいかないことがあっても、それはそれで生徒の学びに繋がります。だから諦めずに挑戦し続けてください。その姿を子供たちに見せてください。
失敗って学びの宝庫ですよね。いつか私が本を出すのなら、みんなの失敗談を集めた「僕たちの失敗」という本を出版したいって思うくらいです。人の成功談くらい面白くないものはないですもん。私だけ?
これ以上書くと何だか別の方向に行っちゃいそうなので、今日はこの辺で。