優一先生(以下クマユウ)のブログを閲覧されている皆さま。はじめまして、前田勇希と申します。
私とクマユウとの出会いは今から約15年前、私が高校時代に遡ります。当時のクマユウを私の視点から一言で表現すると、ずばり「インテリヤクザ」という表現がとてもしっくりきます。
冗談を言うけど目が笑ってない、優しい表情でジャックナイフのような鋭い突っ込みを入れてくるなど数えあげたらキリがありません。しかし、15年ぶりにお会いしたら、当時のその尖った部分が嘘のように柔らかくなっていました(笑)。
サヨナラは言わない
当時を振り返った時、私の中で最も記憶に残っているクマユウとのエピソードは、クマユウの離任式での出来事です。私はその時すでに高校を卒業しており、三陸新聞の「宮城県教員の人事異動」でクマユウが本吉響高校を離れることを知り、OBとして離任式に出向きました。
式のあと、私以外にも何名かの卒業生が来ており、「次の学校に行っても頑張ってください」とやり取りが交わされる中、私に対してクマユウは「上手く言えないけど、何となく前田とは付き合い続く気がするから、サヨナラとか言わないし、要らないからね?だって絶対会う気するもん」と言い切りました。
なぜかそのフレーズが強烈に印象に残り、いまこうして筆を走らせています。事実、15年たって32歳になった今もクマユウとのお付き合いは続いている訳ですが。
久しぶりに生徒会長に!
今回、クマユウの故郷気仙沼で、「Most Likely to Succeed」という映画上映会を開催するにあたり、クマユウからSNSで突然連絡が来ました。「どこか人を呼べて」「スクリーンがあって」「ディスカッションできる」場所ない?と。
「先生、それだと分かんないっす。どんな内容の映画で、気仙沼の人に何を伝えたいんですか?」と1つずつクマユウの言葉で趣旨を教えてもらいました。
どんな目的で、どんな思いで、この映画を気仙沼で上映したいかは、このブログ(チノメザメ)に書かれているのでここでは割愛しますが、初めて国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)という教育のあり方(システム)の存在を知った時、「とても興味深く、また、面白そうだな」と思いました。
開催に先立って、場所の選定。宣伝・集客。やることは沢山ありました。なんか久しぶりに生徒会長に戻ったみたいでした。そうそう、当時クマユウは生徒会の顧問でしたしね。
突然の打診にも関わらず、快く受け入れてくれたスクエアシップの成宮さん、気仙沼市職員の三浦さん、鹿折まちづくり協議会の若手構成員の皆様、ありがとうございました!
映画を観て思ったこと
新しい教育のあり方として、映画の中ではアメリカの実際の学校での子供達の様子が描かれていました。その学校では、大人がカリキュラムにそってワンウェイで授業を進めるのではなく、あくまで子供達に主体性を持たせて子供達が自主的に学びたいものを学べる環境を大切にしています。なので「教科書」という物もなければ「チャイム」という時報もありません。
こってこての従来の日本の教育システムで育ってきた私からすれば、まさに目から鱗でした。ただ、ここで映画をまだ観ていない、かつ実際に子供を育てている保護者の方からすれば「そのやり方で本当に子供は将来幸せになれるの?」と疑問の声もあがるかもしれません。
そりゃ私も小学3年生の娘の父親として同じ疑問を感じます。今の日本の教育システムでは、どこまで行っても5教科の合計点がものを言うんです。子供達の主体性を重んじるがゆえに教科書を使わず子供達にやりたい様にやらせた結果、学力の差が生じ、進学の選択の格差が生じ、就職の選択の格差が生じ、収入格差に繋がるのであれば従来の教育システムのほうが良いのではないか!なんて声が聞こえてきそうです。
でも、私はどうしてもこの学びの「あり方」に魅力を感じるのです。何故かと考えた時、自分自身が学生の時、従来の教育システムに息苦しさを感じたからだと思います。自分が学校で勉強する目的は「テストでそこそこの点数を採る」ためであって、テストが終わると勉強して頭に詰めこんだ情報はいとも簡単に消えていきます。
大人になった今、当時の勉強が全く無駄だったとは思いませんが、それよりも「人間力」や「原動力」、「探求心」や「行動力」などのテストの点数で数値化出来ないもののほうが重要な気がします。映画上映が終わってクマユウは子どもたちのソフトスキルを育てる教育が必要だと説明していました。
ここで、子供達に主体性を持たせて教育していくことに対して「性善説」や「性悪説」を唱えるつもりはありません。ただ、今後の日本の教育のあり方を考えていく上では、学びの「あり方」を考えることとは切っても切り離せないものだと感じます。
最後に
…またまた変なクセで、筆を走らせながらクマユウ含め当時の先生方が私達生徒に何度も言っていたフレーズを何故かいま思い出したので、これを結びの言葉とします。
当時、多くの先生方が私達生徒に言っていました。「「どうせ響だから」「だって響だし」、やる前からそんな事言うな」。
当時、私の通っていた本吉響高校は、気仙沼管内でみた場合、偏差値が低い学校でした。「どうせ響だし」という言葉は生徒が使う「言い訳」や「出来ない理由」として用いられており、自分も何度か言葉にしたことがありました。
先生方は、そんな生徒の発言に「せっかく君たちには可能性があるのに、どうしてやる前から決めつけるの?」といつもいつも私達の可能性を信じて応援してくれました。
あれから15年。今度はもっと大きな壁にトライしようとしているクマユウを私が全力で応援しようと思います。8月25日の「ナレッジキャラバン in 大阪 2019 夏」が成功しますように。そしていつか気仙沼でも「ナレッジキャラバン」やってください!でも、この人本当にちゃちゃちゃってやっちゃうからなぁ……。いつかですよ、いつか(笑)!