[Heroes] 歴史学者 大村幸弘先生

この「Heroes」というシリーズでは様々なフィールドで活躍する熊谷が出会った面白いオトナを紹介しています。これまで、ベトナムでレストランを経営する白井尋さん、京象嵌の若手職人の中嶋龍司、漢字文学者の故・白川静さん、日本文学者のドナルド・キーンさん、筑波大学大学院教育研究科客員教授のキャロル・犬飼・ディクソン先生、中国茶研究家の王静先生を紹介しました。

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。今回は公益財団中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所長の大村幸弘先生を紹介します。私の教育者観に最も影響を与えた人物です。

知識と情熱のバトン

かつて内閣府青年国際交流事業の参加青年の一人として約1ヶ月にわたってトルコに派遣されました。こんな贅沢な機会は人生で二度訪れないと思うほど、広大なトルコ各地で様々な人々、様々な文化と交わりました。

その中で出会ったのが大村幸弘先生です。先生は中央アナトリアに位置するカマン・カレホユック遺跡で発掘調査を指揮していらっしゃいました。詳しくはアナトリア考古学研究所をご覧ください。

この地域には何層にも渡って様々な時代の遺跡が重なり合っています。大村先生は、「自分の一生で掘り切れるほどこの遺跡は小さくない。だからこの遺跡の全容を解明し、その価値を世界の人々に知らせるためにこの研究を発展させられる人材を育てなければいけない」とおっしゃっていました。

「知識のバトンを繋いでいくために、自分は存在するのだ」と私には聞こえました。

永遠を見通す眼差しの先に

大村先生とお会いしたのはもう20年くらい前になります。そしてお目にかかったのはたったの1時間くらいでした。でも、はっきり覚えています。口元に白いひげをたくわえた大村先生の佇まいと、遥か未来を見る眼差し。

きっとこの遺跡を解明するためには何百年もかかることでしょう。何百年も発掘に時間がかかるということは、それだけの費用がかかるということです。そして、関わる人の数もその質も育てていかなければいけないということです。だから大村先生はその研究成果を世界各地で発表し、地元の子どもたちにも「発掘することとは何か」を実際に体験させながらその価値と意味と理解を広めています。

発掘には世各各地の若者たちがたくさん参加していました。大村先生は言います。

「発掘を終えた一日の終わりには必ず参加者全体で振り返りの時間を設ける。その日初めて参加しようと、何年も発掘に参加していようと、全員がその日に自分が行ったことを共有し、質疑応答する。共通言語は英語。最初は「My name is……」しか言えなくても構わない。実際それしか話せない学生たちはとても多いが、次の日は片言ながらも自分が言うことをメモしてくるだろう。時間がたつにつれて、自分が発掘したものを文献などで調べて類推を発表できるようになる。そして気が付けば、他の参加者の報告に質問したり、意見したりできるようになる」

「教育ってこういうことだよな」って私は思いました。「学習者が自ら気づき、目覚め、自ら学習していく文化・習慣を形成する場を作ること」が究極的には教育者の務めではなかろうか。まだ教員として歩みを始めたばかりの私に、教育の本質を見せてもらったように思います。そして私は現在、世代を超え、立場を超え、ありとあらゆる垣根を一回取っ払って共に学びあう、学びのプラットフォームを作るべく様々なイベントを自ら企画するようになりました。

ロマンティックが止まらない!

さて、大村先生は2004年に「アナトリア発掘記 ~カマン・カレホユック遺跡の二十年」という著作をNHKブックスから発表されています。この本はロマンについての本です。読んでいて身震いしますよ。だって失敗して、傷ついても自らの情熱と信念を果たそうというしている人の話が描かれているんですから。


この本を読んで思い出したんですよね。実は私も小学生の頃は考古学少年でした。というか、ただの貝塚荒らしでした。私の故郷、宮城県気仙沼市にはたくさん貝塚があって、今はただの野っ原になっていたり、崩れかかった崖だったり、人ん家の畑だったりしたのですが、そこで見つけた土器の破片がジグソーパズルみたいにピタッとはまったり(といってもごく一部中の一部なんですがね)、矢じりっぽいものが見つかったときには人知れずテンションが上がりましたもんね。

それら収穫物は、酢イカとかが入っている駄菓子のプラスチックケースにいくつも分類しては取り出して、何千年も前に気仙沼に暮らしていたであろう人々に想い馳せました。ところが、ある日私が発掘したすべての出土品(!)が私のばあさんの手によって鹿折川(ししおりがわ)に捨てられてしまうのです。怒り狂う私に向かって、「何千年がたって、お前が捨てたゴミを手に取って眺めてニヤニヤしている奴のことを薄気味悪いと思わないか」とばあさんが吐き捨てるようい言われ、私はこの人に何を言ってもわかってはもらえないんだろうと、生まれて初めて諦めという言葉を覚えました。

確かにゴミなんですけどね、でもその時の私には大切だったわけですよ。

最後に

大村先生とはしばらく手紙でやり取りさせていただいていましたが、震災で連絡先を失い、その後の生活がなかなか落ち着かなかったので音信不通になっていましたが、昨年、伊藤忠商事内にある日本トルコ協会事務局の大曲祐子さんを訪ねたときに、再び大村先生とつなげてほしいとお願いしました。祐子さんは、私がトルコに派遣されたときのトルコ団の副団長をされていたんですよね。以来、何かによくしていただいています。先日、祐子さんに連絡先を伺って、大村先生に今度当ブログ(チノメザメ)で先生のことを書かせていただきますとお伝えしました。

そしたら、今日(6月20日)届いたんです。入手困難だった大村先生の最新著作、「アナトリアの風 考古学と国際貢献」が!大村先生、そしてアナトリア考古学研究所のスタッフのみなさん、本当にありがとうございます!

文明の十字路と異名を持つトルコで20年前に出会った人と、こんな風に縁が再び交差する。人生っていつどこで何が起こるか本当にわからない。やっぱステキだなぁ。生きてるって。この嬉しい気持ちでしばらく、また顔を上げてやっていけそうです。