学校教育の価値を考える

こんにちは!古屋佑奈です。前回は「出会いと学びと私と情熱」でIBとの出会いや8月に札幌で行われたワークショップでのことについて書きました。今回は大学院の個性的な仲間も紹介しますね。

IBを学ぶ大学院生、古屋佑奈さんの初エントリーです!

IBとの出会い

教育の現場を1年経験してから、スポーツの世界に足を踏み入れた事は前回お話ししましたが、その仕事を始めて4年目の春、国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)との出会いは突然やってきました。

大学時代の後輩から突然、「東京に出てきたから会おうよ!」と連絡が入り、「こうやって連絡くれる後輩がいるって嬉しいことだよな」という思いつつ、大して上京の理由も聞かずに会いに行きました。すると会うなり「IBの勉強をするために大学院通い始めたんだ!佑奈さんもどう?笑」と誘われました。

私にしてみたら「は!?」です。その彼は、私と同様に教育大を出ても教員にはならず、アルバイトをした後に公務員になっていました。まさか教育を学ぼうと思っていたなんて!しかも突然大学院!?そしてよくわからない横文字を口にするし…でも、よくよく話を聞くと、何やら面白そう。まだよくわからないけど気になる!そう思った私は、その日からIBとやらについて調べ始めました。

私がそこまでIBに魅力を感じたのは「他人との違いを違いとして理解しましょう」「自分と異なる考えにもそれぞれ正しさがあり得ることを認めましょう」という理念です。IBは「IBの使命」として、プログラムによってどのような人を育てるか、ということを示しています。

「理念だけでそこまで?」と思われるかもしれませんが、今までの経験の中で私が大事なことだって思っていたこと、教育に必要だと思っていたことが、こんなにもわかりやすい言葉で示されているということだけでも、私が教育の現場に戻るきっかけには充分だったのだと思います。それくらいの衝撃、いや、何かストンと支えていたものが取れた気がしました。

学校教育の価値って何だろう

いつでもどこでも、様々な方法で様々な人と学ぶことができるようになった昨今、学校に集って学ぶ意味は何でしょうか?

この問いに1つの答えなんてないだろうし、そもそも意味があるのかすらわからないですが、少なくとも、google先生に聞けば一発で教えてくれるようなことを、学校の先生が一方的に教えるだけの学校教育に価値を見出せる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

以前、あるIBのワークショップリーダーが、参加した先生に「学校で学んだ事で今役立っている事は何ですか?」と問うたところ、ほとんどの先生が回答に困っていたということがありました。試験のためにひたすら暗記したことは、大人になった今どれだけ覚えていて、どれだけ活用できているか。部活を中心に学校生活を送っていて、振り返れば思い出は部活一色で、身につけた根性はどれだけ発揮できているか。

それらは無意味だとは思いません。しかし、教員がいつまでも子どもを導く事はできないのだから、目先のことだけを考えて子どもと関わる事は怖いと、私は思います。子どもが自ら責任を持って、自ら考えて進む道を選択していくための力をつけることができる環境を整えることが、学校教育にとって重要なことなのではないでしょうか。

じゃあどうやって?その1つの選択肢としてIBの多様性を認める理念や協働的な学び、概念学習等はとても有効な枠組みだと思うのです。もちろんそれが1つの答えではないし、特効薬でもないのですが、教育に関わる人は、ずっとそれらを模索しながら子どもと関わっていく必要があるのではないでしょうか。

そういえば「学校は約束をしなくても友達に会える場所」って、私が好きな漫画の主人公が言っていた…それには大きくうなずけます。学校教育にも多様な価値を認めたいですね。

ストーリー -3- :IBの価値

IBの価値は、大学院の仲間との学びの中で、私自身が体感しているなう。です。

私の所属する研究科の同期は私を含め6名で、まあみんな個性的なんですね。協働的な学び方に否定的な考えを持った人や、自身がIB教育を受けてきたブラジル育ちの自由奔放な方、出版社を経て島で教育に携わってきて口癖が「探究が止まらない」の人や…教員になるための教育学も年齢も、IBに行き着いたプロセス、育ってきた環境も違うから好き嫌いは否めない、という事で最初のディスカッションがまあ成り立たないという不安なスタートを切ったわけです。

それが、IBのプログラムについて学び深めていくうちに、いつの間にか、ちゃんとした話し合いになっていることに気づきました。多様な価値観を揉み消しあうのではなく、妥協するのでもなく、言い負かすのでもなく、IBの学び方や考え方を実践していると、多角的な視点を身につけるチャンスになるということを実感する日々です。「学び方を学ぶ」ための様々なしかけがあり、意識しながら実感していくことができるのも、IBの良さ、なのかなって思っています。

その辺は、「EdmodoCon Japan 2017」で熊谷先生も書かれています。

参加したEdmodoCon Japan 2017について

最後に

IBって宗教?布教活動したいの?って言われたりもします。別にそういうわけじゃないのですが、私の知る限り、IBには、学校教育において、生徒にとっても教員にとっても重要であろうことが多分に含まれていると感じられるのは事実です。

IBプログラムを導入することで、学校組織にも影響を及ぼすのではないかと、今はそんなテーマで研究をしています。新しいことをやるのはとても勇気がいるし、大変なこともそりゃあるでしょうけど、教員の協業も促進されうるプログラムになっているという仮説を立てています。研究については、もう少し形になってからご報告できたら、と思います。

みなさん「SEKAI NO OWARI」はご存知ですか?私がIBの理念に共感したのと同様に、とても共感した歌詞があったので、最後にそちらを紹介してお別れにしたいと思います。

「知らない」という言葉の意味
間違えていたんだ
知らない人のこと
いつの間にか「嫌い」と言っていたよ

何も知らずに
知ろうともしなかった人のこと
どうして「嫌い」なんて言ったのだろう
流されていたんだ

好き嫌いの感覚ももちろん大切ですが、好き嫌いの判断を明確にする前に、相手に対して寛容になって対話してみたら、また新たな世界が広がるかもしれないですよね。教員として、人として、その気持ちを持ち続けていきたいと思います。そういう価値観って、いつどのように身につくものなのでしょうね?