遺す者、受け継ぐ者、受け継がれる者(後編)

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お久しぶりです、皆さん。熊谷先生の教え子の一人の塩田匠です。現在、私はスウェーデンでの半年間の留学を終えて、2019年2月7日からエストニアに留学しています。

今回は「遺す者、受け継ぐ者、受け継がれる者(前編)」に引き続きアウシュヴィッツでの体験談を語っていこうと思います。

スウェーデン留学を終え、現在エストニアに留学中の塩田匠君の衝撃のエントリー前編です。

希望、絶に転ず

一括りにアウシュヴィッツ強制収容所といっても、実は幾つかに分けられています。「アウシュヴィッツ」と名の付く強制収容所は全部で3つあり、「遺す者、受け継ぐ者、受け継がれる者(前編)」にて語ったのが第一収容所、そして今回は第二収容所について語っていきます。

これがアウシュヴィッツ第二収容所です。恐らく、この風景は映画などで使われているため、見たことのある人も多いと思います。一番印象に残るであろうこの線路は、ヨーロッパ中から囚人を連れてきた際に使用されたものです。この写真は内側からなのですが、外までしっかりと続いていました。

これこそが囚人が乗せられていたトロッコです。この中に、動くスペースもないくらいの人数が押し込められていたといいます。まさか本物が残されているとは思ってもいませんでした。内側を見ることは出来なかったのですが、この小ささの箱に人が動けないほど詰められたということなので、衛生的にもとんでもない環境だったのでしょう。人間を運んでいるという感覚は、ナチスにはあったのでしょうか?

そしてこれが当時の写真です。人々は「新天地に行く」などと聞かされているため、貴重品や生活必需品など必要なもの全てを、生き残れるかもしれないという希望と共にこのトロッコに乗せ、そして運ばれて行きました。その希望は、後に夢で終わってしまうとも知らずに。

この写真は、実はアウシュヴィッツが閉鎖された数年後に、隠れたアーカイブの中から発見されたものです。もしこれが発見されなかったら、当時の状況がここまで詳しく分かることはなかったかもしれないと言います。皮肉ながらも、ジャーナリズムの大切さが伝わってくる一枚でした。

収容所の奥まで続くこの長い線路を辿っていくと、ここに建てられたメモリアルがあります。

「For ever let this place be a cry of despair and a warning to humanity, where the Nazis murdered about one and a half million men, women, and children, mainly Jews from various countries of Europe.」

「永遠に、ナチスが約150万人の、主にユダヤ人を男女子供問わずに殺害したこの地を、絶望的嘆きの場所、そして人類に対する警告の場としよう。」と書いてあります。この文章はここに連れてこられた犠牲者達の出身国の言語でそれぞれ書かれていて、この石板の横にずらりと並んでいました。まさに「世界大戦」の名に相応しい数でした。

歴史の闇

「遺す者、受け継ぐ者、受け継がれる者(前編)」で、第一収容所に存在するガス室についてはお伝えしましたね。実は第二収容所の方にもガス室はあったのです。それは、あのトロッコの写真に写っていた長い道を歩いた先に位置します。多くの囚人達は、トロッコを降りた後の選別によって、そのままその道を歩いてガス室へ送られたのだそうです。

そしてこれが、そのガス室です。そうです。第一収容所のガス室は取り壊されそうになった後、一部復元されたと言いましたが、第二収容所のガス室は、完全に破壊されてしまったんです。このことから、アウシュヴィッツは本当に歴史の闇に葬られるところだったことが分かります。

ここに、人が…?

さて、ここで二枚の写真をお見せします。ここは私がアウシュヴィッツの中でショックを受けた場所トップ3の一角なのですが、果たしてこれはどこで、何のために使われていた施設だと思いますか?

様々ご意見あると思いますが、正解は宿舎です。もう一度言います。ここは、アウシュヴィッツ第二収容所に収容されていた女性達が使用していた宿舎です。約75年前には、ここで数百人の女性が共同生活していたんです。そこに見える木の板はベッド(そう呼ぶのも申し訳ないです)として使用され、各スペースに7~8人が、一枚の大きな毛布をシェアしながら寝ていました。

地面が剥き出しの床、薄暗く、換気もままならない埃っぽい室内、多くのメッセージが刻み込まれた壁、断熱効果など皆無なため、夏場は熱く冬場は寒い極限の環境…私がここを訪れた時は11月で、まだまだポーランドの冬は頭角を現していませんでしたが、それでも気温はマイナスで、とても上着がないと活動できる状態ではありません。それを、防寒具等の十分な装備なしで重労働を強いられ、そして極寒の宿舎へ帰っていく。果たして彼女達は、どんな気持ちで、何を考えて、そして何を糧に、日々を生き延びていたのでしょうか?

受け継がれ、伝え行く

さて、ここまでが、私が今回のアウシュヴィッツ訪問の中で体験したもの達です。これが、歴史です。これが、歴史の底なし沼から這い出て、我々に確かに何かを託そうとする意志とそれそのものです。私は、その意思を感じました。過去に様々な平和資料館や戦争博物館へ足を運びましたが、ここだけは次元が違いました。その場にいるだけで心が痛む、そんな場所は初めてでしたし、今後も中々現れることはないでしょう。

このブログをご覧になっている皆さん、行ってください、アウシュヴィッツへ。あの感覚は、彼らの意志は、写真や動画などでは100分の1も伝わりません。彼らが命を懸けて遺そうとしたこの場所は、幾重にも重なった争いが織りなすこの世を生き抜く人々に、大切な何かを与えてくれます。人生で1度でもいいです、訪れてください。あなた方が受け継ぐその何かの積み重ねが、次世代の世界を変えていきます。

私はスウェーデンにて、半年のみですが平和開発学を学びました。実際に多国間貿易からどのように戦争又は紛争状態へ転じていくのかに関するロールプレイも行ったため、いかに国家間でwin-winの結果を導くことが難しいかも理解しました。しかし、そこにたとえ利益がなかったとしても、他国の為に動く国も存在しました。何故なら、それが巡り廻って自国の利益になると知っているからです。

私の国ともう1カ国を皮切りに、いくつかの国がそれに便乗しました。もちろん真っ向から反対する国もいましたが、私はそこに可能性を見ました。世界は協力できる、共存できる、と。たった約5億Km²の土地を、約76億の人間とその他数々の動物がシェアハウスしてるんです。

長い文章を読んでいただきありがとうございました。ではまたの機会にお目にかかります。

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