故郷まであとなんぼ

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大阪に引っ越してきてもう1年になりますが、案外周りに宮城の人が多くて、全く訛りが抜けません。私は明治、大正生まれの年寄りの中で育ったので、同世代の友人達にもわからないような古い言葉を話します。気仙沼を離れてもう5年になるのに、結局お前が一番訛っていると友人たちからは言われています。

でも、言葉は人のアイデンティティそのものですからね。折角受け継いだ言葉をこれからも大切に話していこうと思います。

まただいん

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。

大阪に住み始めてすぐに、高校の大先輩で関西学院大学の副学長をされている長峯純一先生と神戸市東灘区にある岡本商店街を訪れました。そこに気仙沼の物品を販売する「気仙沼まただいん」というお店があるんですね。阪神淡路大震災で被災され、見事に復興を果たした岡本商店街のみなさんは今も東日本大震災に遭った気仙沼の支援をされています。

「まただいん」とは「また来てね」という三陸地方の方言ですが、こうして文字にすると、何やら意味ありげに感じました。訛りは文字に起こすとどうも感じがつかめないと思うことが多いのですが、「Mata Dain」と口ずさんでみると外国語のように聞こえるから不思議です(私だけ?)。

お話を伺った商店街の方々は頻繁に気仙沼を訪問して下さっています。自分たちが被災して困ったことは、東日本大震災で被災した人たちもきっと困っているに違いない。復興過程で自分たちが経験したこと、学んだことが役に立てばとおっしゃるみなさんに目頭が熱くなりました。

このように自然災害と生きる日本人の叡智は脈々と受け継がれています。

関西で繋がるふるさとネットワーク

そうこうしているうちに、京都宮城県人会の幹事をされている千葉憲太郎さんから忘年会に誘っていただきました。千葉さんは私が宮城で『Most Likely to Succeed』という教育に関するドキュメンタリー映画の上映会の実現に手を貸していただきました。

その席でもう何十年も前に宮城を離れた人生の大先輩のお話を伺うことになります。昭和23年に大阪船場にある布問屋に丁稚奉公で働き始めたという先輩はもう故郷には戻れないくらいの気持ちで故郷を離れたとおっしゃっていました。

9人兄弟の末っ子で、故郷を離れるのは当然のこと。9人も子どもがいれば親から構われるなんて叶うはずがなかったが、いつも親は恋しかった。だから親に乱暴な言葉を使っている今の子供を見ると無性に腹が立つ。親が自分のことを向いてくれているのは、どれほど幸せなことか。

故郷も遠かった。今のように新幹線も飛行機もなかったから、簡単には帰れない。費用もそれなりにかかった。だからせめて同郷の仲間と親交を深め、故郷を懐かしんだんだ、と。

世界で繋がるIBネットワーク

2019年1月13日に西京極陸上競技場で「皇后杯37回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会」が開催されました。選手たちの応援に花を添えるため、各都道府県人会が故郷の特産品の出店を出します。京都宮城県人会ではずんだ餅とふかひれスープを販売しました。

お手伝いに来てくれた人たちの中には、東日本震災後に宮城県庁や各市役所に派遣された京都市役所のみなさんもいました。折角宮城県の人たちと知り合いになれたので、何らかの形で繋がっていたいとまた嬉しいことをおっしゃいます。

テントに顔を出した村井宮城県知事とは、その夜に宮城県選手団を交えた慰労会でもご一緒しました。宮城県でも仙台二華高校で国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)のプログラムを導入することが決まっています。宮城県教委でその係りを担当しているのも、仙台二華の先生方の中にも私が宮城県で教員をしていた頃の同僚や仲間たちがいるので、協力できることはできる限り協力しますと申し上げました(冗談でしょうが、「戻っておいでよ」の知事の言葉にいつか故郷に戻る日があるだろうか……と期待したりして)。

そして2月16日に仙台二華で行われたIBシンポジウムで話してきた次第です。当ブログ(チノメザメ)でお馴染みの仙台育英高校の石田先生もお話しされました。IB関係者はIBサークルと別名があるくらい、いたるところで頻繁に再会し、繋がりを広め、深めていきます。まるで県人会みたいですね。

最後に

選手団のコーチを務めた先生方の中には公立高校の先生方もいらっしゃいました。私と初任校が同じだった先生、今も仲よくしている私の友人が勤める学校の先生たちと宮城の教育の話をしました。会の途中で、その先生たちが連れてきた選手たちが他人と思えなくなりました。年をとったのでしょうかね。

東日本大震災から8年がたちます。様々な別れと悲しみに暮れている中にも、新たな出会いと喜びはありました。今年も書こうとは思ったのですが、震災の話はいつもうまくまとめられません。でも、一人だけ私の代わりに私の思いを語ってくれる人がいます。宮城県志津川高校で養護教諭をされている阿部富子先生です。もしよかったら「これまでも、これからも」をぜひ読んでみてください。

被災地の養護教諭がIB通して得た、自らの気付きについて

どんな辛い時代にも仲間がいればなんとかやっていける。私はそう信じています。私にとってそうだったように、誰かにとって私自身もいないよりはいた方がなんぼかマシだったって思われるような存在でありたいと願っています。

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