真夏の13月

気が付けば夏も終わり、朝晩は随分涼しく感じられるようになりましたね。かなり前になりますが、「チノメザメ Knowledge Awakening」で人を罵ることに関してはノーベル賞級の私の祖母の話を書いたのを覚えていらっしゃるでしょうか。

熊谷優一に最も影響を与えた、TOKマインドを持ったおばあさんの話です。

みなさん、こんにちは、熊谷優一です。ありがたいことに(!?)私の祖母の話をもっと読みたいと、リクエストをいただきました。そこで、今日は久しぶりにばあさんのことを書いてみようかと思いますが、本エントリーの内容は決して暴力を礼賛するものではなく、昭和という時代、またその当時の家族の関係性を念頭に読んでいただければと思います。

ばあさんに最後に殴られた秋の日

しかし、うちのばあさんの存在感たるや!死んでしばらくたちますが、全く死んだ人にしては会話に登場する頻度が高すぎると思うんです。

さて、私がしょうもないヘマをする度、ばあさんは「この13月!」と言いながらビンタを張ったものです。なんせ、42歳で私のばあさんになったので、それはそれは力が強い。いつかまた機会があったら詳しく書きますが、父に殴られた回数より何倍も、普段一緒いる時間が長かったばあさんに私は殴られて育ちました。

最後に殴られたのは、「宮城県の教員を辞める」と言ったときです。10年前のちょうどこの季節のことでした。今でも戦慄を覚えます。あの時私は、馬乗りになったばあさんにグーでボコボコにされました。「馬鹿なことをぬかすな。考え直せ」と鬼の形相で拳が飛んできます。私はその勢いにもう圧倒されて、一切の戦意を失い、脱力しました。まさか30歳を過ぎた孫が祖母に殴られるなんて、まるで漫画の一コマのように私は顔に縦線が入っていたことでしょう。

気が済んだら、「気持ちに変わりはないのか?腹は決まってるんだろうな」と任侠映画の決め台詞のように言い放ち、風呂に消えていった彼女を、ちょっとかっこいいと思ってしまうあたりが、私の「マ」が抜けているところなんだと思います。

真夏の13月

この夏自分はきっと別人格だったに違いないと思うくらい、本当にあり得ないようなケアレスミスを私は繰り返しました。心から反省しています。そのミスを傍らで見聞き、対処してくれた古い友人が言ったのが次の一言です。

「人間としての最低限を下回っている」

どんなミスをしでかしたのかについては、このブログ(今からIBをはじめる君へ)の品位を貶めることになるので詳しくは書きませんが、でもね、どんなミスをしても、結果私の周りのイイ人たちが手を貸してくれて、何とかなるもんだなと私は感謝しています。

この夏、帰省した際、先の友人が一関駅まで迎えに来てくれました。が、新幹線の乗り降りさえ不安視される私に、彼は逐一LINEに指示や確認のメッセージを送りつけてきます。本に没頭して乗り忘れる、考え事をして乗り過ごす、日付けを間違えて買った切符を買い直すといった全科が一度ならず二度、三度とある私は、全く信用してもらえないし、いちいち面倒くさいと思いながらも、一駅ごとに通過した、ちゃんと起きている旨報告しました。

そんな非常に簡単なところのヘマをするので、私の周りの気のいい人たちは、少々のヘマだったら許容範囲くらいに思って、何とかしてくれるんだと思います。「8月なのに13月を生きている」とばあさんが生きていたらケチョンケチョンに言われていたでしょうけど。

13月の孫を持つ祖母の13月

私を罵り倒すだけ罵って逝ったばあさんにも「13月」エピソードはあるんです。(自分のヘマは品位が落ちるとかって詳しく言わないくせに、人のことは書き連ねる。ザ・死人に口なし!笑)

私はばあさんと濃密な時間を過ごしすぎたばかりに、彼女の弔辞を読んでいる最中に吹き出したくらいですからね。あの人にもたくさんあるんです。13月が!

あれは家に誰もいない夕方のことでした。食い意地が張っているばあさんは、私が盗み食いすると物凄い剣幕で怒るくせに、自分発信で盗み食いすることには何ら罪悪感を覚えないタイプです。しかも、子供の私を実働部隊に使い、言い訳を用意しておく周到さを持ち合わせています。

あの時は、冷蔵庫に丸ごとバナナが1本だけ残っていました。「ゆう!持って来い。」ラピュタに出てきたドーラみたいな顔をして、ばあさんは私に共犯を持ちかけます。私も食べたいので彼女の言うことを簡単に聞いてしまうんですけどね。

家に誰にもいないのに、なぜかこそこそ冷蔵庫から例のものを取ってきて、私は例のものをばあさんに渡します。するとばあさんはおもむろに果物ナイフで丸ごとバナナを半分に割り、「ほら、食え」と私に促します。ラスボスの後ろ盾を得た私は安心して生クリームがぎっしり詰まった丸ごとバナナを頬張り、その味の感想を伝えようとばあさんの方を見ました。

すると彼女がかじった丸ごとバナナの断面から赤い色が見えました。「おばあちゃんのって、丸ごとイチゴなの?」と聞きながら、よくよく見ると、ばあさんの唇から真っ赤な血がどくどく出ているではありませんか!

「おばあちゃん、口から血が出てるよ!」私は慌てます。するとばあさんは、「ばや、どうりでピリピリすると思った」とだけ言い、唇についた血と生クリームを舐め、ディッシュで止血しました。ばあさんはナイフについた生クリームを舐めようとした際、誤って刃の方を自分の唇に当ててしまい、自ら自分の唇を割くようなことになったのでした。

最後に

ね、「13月」のばあさんも「13月」でしょう?

こんなことが彼女の葬式の最中に走馬灯のように次々と浮かんでくるのですよ。みなさん、笑わずにいられますか?しかし、いいネタをありがとう、おばあちゃん。大好きだった栗団子を十五夜にはお供えします。

さて、この「13月」という罵り表現は、現在も三陸沿岸の地域で使われているそうです。おじいさん、おばあさんと暮らしていた私くらいの年齢までの人はもう使わないけれどよく聞いたと話していました。

「デジタル大辞泉」にはこのように載っています。

十三月なる顔付き
《1年が13か月もあるように思っている顔つきとも、いつも正月のような顔つきともいう》のんきな顔つき。
「工商の家に―かまへ、貧乏花盛り待つは今の事なるべし」〈浮・永代蔵・五〉

デジタル大辞泉 – 十三月なる顔付き

今、自分の仕出かしたミスを周りの人たちに助けられておいて、世の中何とかなるもんだと、のんきに書いた自分を猛烈に恥じています…

では、今日のお別れにお送りするのは、ちあきなおみで「夜へ急ぐ人」。みなさん、今日のことはどうか忘れてください。