世界を目指すのなら

あつ(敦尊)です。とも(共紘)です。大平ブラザーズです。

皆さん、こんにちは。僕たちは今、6月1日に当ブログ『チノメザメ~21世紀を学ぶ君へ~』のデザインのリニューアルを目指して作業しています。私たちのキャリアの重要なポートフォリオの出発点になることを信じて、我らが師、クマユウと話し合いながら少しずつ形にしているところです。

熊優曰く

あれはチノメザメのブログのシリーズ毎のアイコンの新デザインと記事の分類について話していたときでした。僕たちの発言を聞いて、「あのさぁ」ってクマユウが僕たちを見ました。問いが投げかけられるのはいつもの如く唐突で、僕たちはたちは少しだけピリッとします。

『論語』風にいうと……

子問うて曰く、いずくんぞ「春はあけぼの」の段に昼間が描かれていないのか。

こんな感じです。先日、『街角TOK:古典に還れ!』でも触れられていましたが、枕草子の「春はあけぼの」の段に昼間の時間帯が描かれていない理由について聞かれました。唐突でしょう?

熊優、目笑わずして曰く

ていうか、そんなことを考えて古文を読んだことがありません。文法を習ったのは覚えています。「らりりるれれ」と活用するラ変(ラ行変格動詞)とか……。

そんな風にクマユウに言うと、「Ari、Ori、Haberi、Imasokari」と突然呪文を唱え始め、「いよいよいっちゃったか」と心配しました。が、すかさず「ラ変の動詞4つだろ!自分で言ったんだから、わからないなら、即効ググれ!」とピシャリと言われました(笑)。

こういう時、クマユウの目は笑っていません。目を覗いても何も反射してこない。「さっきまで和やかに会話していたあの人はどこに行ったの?」というくらい別人のように無です(笑)。

世界を目指すなら

「世界を目指すつもりだと言うなら古典に還れ」と、クマユウは僕たちに言いました。そしてこう続けまます。

「古典の数々の中にこそ時代の移ろいにも動じない知がそこに生きている。何千年もわたって存在し続けるのはそれが人間の本質を説いているいるからだ。」

かつて、クマユウがIBのプロジェクトでオランダに行って帰ってきたとき、こんな風に言っていたのを思い出します。

「自分がどういう人間で、どんな知識体系を持ち、自分らしさが形成されいるのかをどれほど示すことができるのかが世界にでたときに一個人の問題になる。」

高校生だった僕たちはいったい何のことやら全く理解できませんでした。しかし、今、社会人になって少しだけですがわかるようになったと思います。「おまえは何者なのだ」という問いに答えられないと仕事をもらえないのです。

最後に

筑波大学附属坂戸高校は総合学科の学校で、3年生になると卒業研究という授業がありました。一人の先生に20くらいの生徒が割り当てられ、1,2年と取り組んできた授業を論文にまとめる際の指導を受けます。

以前、僕たちの同級生の吉田健人くんがクマユウから指導を受けた時のこと書いていますが、最初は一対一の対面で指導を受けるのは本当に怖いんですよね。でも、そこで気がつくんです。こんな豊かな学びのチャンスって実はないなって。

クマユウを避けてきた生徒が中学生のみなさんに、新たな学びに挑戦する勇気の大切さを伝えます。

授業はいつも40人が基本ですからね。それが一対一で自分だけ学ぶチャンスがあるって実はラッキーだなって思うんです。ちょっとだけ勇気は必要ですけどね。

というわけで、このプロジェクトを通して、僕たちが何を問われ、そこから何を学ぶのか、時々レポートできればと思っています。