今からIBを始める君へ:あの日ミャンマーにいた者として

皆さん、こんにちは。International School Yangonというミャンマーのインターナショナルスクールを5月に卒業しました、野中宏太郎です。実は以前、このブログで僕が作った動画を紹介していただいたことがあります。

いくつになっても、「これは!」って没頭したことから学問に熱中していくことってあると思うんです。

卒業してからなんですが、こんなところにCASの活動に適したものがあったことに驚いています。在学中にあってくれればよかったのに……。

では、これから僕自身のインターでの学びについて、皆さんに共有したいと思います。

自分がインターナショナルに行くまで

僕には書字障害という障害があります。紙の上にペンで文字を書くことが困難だという障害です。読み書きを重要視する日本の教育の中で、僕はこの障害によって大きな困難を抱えました。

特に困ったのが高校受験の時でした。東京都内25校の高校をまわり、PCを用いた受験などの合理的配慮を交渉しましたが、多くの学校から「あなたのような生徒はリスクになる」「さっさとお帰りください」と拒否されてしまいました。

いよいよ行き場がないというときに、父のベトナム転勤が決まり、僕はホーチミンのインターナショナルスクールで学ぶことになったのです。そこで、僕はこれまで日本で得られなかった配慮を、入学後、一週間で認めていただくことができました。

配慮は当たり前

その後、さらにミャンマー異動のため転校をしましたが、当たり前のように配慮が得られ、インターを卒業するまで、僕は自分の書き障害を一切困難に感じることなく学校を過ごしました。むしろ、英語ができないことが大きな障害となりました。このとき「障害」と呼ばれるものの多くが環境によって決定される「社会的な障壁」であるということを実感しました。

今も考えることがあります。もしあのときホーチミンでインターナショナルスクールに行くことがなければ、僕はどうなっていたのか。日本の高校を回る中で、ある先生から言われた言葉が印象に残っています。

「5年後、10年後、障害に配慮をすることは当たり前の社会がくるかもしれない。けれども今はまだ無理です。」

あれから5年が経ち、15歳の僕は20歳になりました。社会にとって、大人にとってはたかが5年です。しかし子供は大人になってしまいます。

日本はコロナを経験し、多少ICT化も進んだようです。ただ、適切な人に適切な方法で学びを継続できるよう、理解を促す社会は未だ実現していません。

僕は秋からドイツの大学に進学する予定です。もしも日本で、義務教育を終えた後、学びが継続できなかったとしたら、自分の人生は、大きく変わっていたかもしれません。

あの日ミャンマーにいたものとして

僕はまさしく「学びを継続できない」ことの恐怖とその影響を経験してきました。そしてそれが、いまミャンマーで、多くの子供たちに起ころうとしています。

コロナ禍、ミャンマーは東南アジア諸国の中でも空港が完全に封鎖され、外国人の出入国は大使館の許可を得たODA関係者など、一部の人にのみ限定されました。厳しい行動規制で経済活動はほとんどストップしました。

コロナ罹患者は強制的に施設に隔離されました。施設は衛生が行き届いておらず、日本人としては恐怖でした。医療が脆弱な途上国に暮らすということが、いかに危険かということ、そうした脆弱性は「いざというとき」までは目に見えないということを知りました。それでもミャンマー国民は、コロナの厳しい状況に耐え忍び、感染者が減っていました。活動再開か、と多くの人が希望を持っていました。

そして、2021年2月1日。ミャンマーで国軍によるクーデターがおきました。「昨日あった平和が今日はない」という日本ではあり得ないことを、僕は目の当たりにしました。

ミャンマーの公教育は、コロナ禍、ほぼ一年間、学びが停止している状態でした。クーデター後は、偏向教育を恐れて、軍事政権の下で、多くの親は子供を学校に通わせません。大学では学生や教師がボイコットをしたり辞めたりしています。学校に通っている児童が後ろ指を刺されることさえあります。

しかし、僕はたとえどのような政治状況にあっても、教育は担保される必要があると思います(本来であれば、医療やインフラもなくてはならないものです)。5年、10年の教育の空白は子供を大人に変えてしまいます。その間に教育が受けられないということは国が衰退するというだけではなく、個人の人生を大きく変えてしまうのです。

自分はあの日ミャンマーにいたものとして考え続けなければいけない命題をひとつ得ました。

イレギュラーが続いたDPでの学び

ミャンマーのインターで選択したDP科目は、Mathematics Analisis and Approaches(HL)、Physics(HL)、Chemistry(HL)、Ecoomics(SL)、English A literature(SL)、Japanese(SL)はSelf-taughtです。Extended EssayはPhysicsを英語で書きました。

冒頭でも書いたとおり、僕は現役IB生ではありません。また、決しして優秀な生徒ではありません。しかも、僕は転勤のため、 ベトナムからミャンマーのインターナショナルスクールに転校した際、DP1年目に受けていた科目に大幅な変更を余儀なくされたため、初年度からもう一度やり直すという特殊な経験をしました(Geography SL→Economics SL, English B SL→English A SL, Japanese HL→Japanese Self-taught SL)。

さらには、コロナにクーデターとイレギュラーが続きました。ミャンマーではIELTS、SATが全てキャンセルになり、IBの最終テストがなくなり、予定していたIAの実験やCASができない生徒が出てくるなど次々と問題がおきたのです。

IBの最終テストがなくなったことで、IB本部は学校に相対評価を要請しました。それに対して学校は相対評価では、本来7を取るべき生徒が然るべき成績を取れなくなるため、本部に抗議をする、と僕たちは知らされました。その後、実態がどうなったのかは詳しく知らされていません。今は最終成績を待っています。

また、クーデターによって学校が物理的に閉鎖され、ラボが使えなくなったことで実験ができなくなってしまうケースでは、例えばPhetというシミュレーションができるwebサービスを用いてIAを書く、先行研究のデータを元にそれがどのような法則性を持っているのかについて考察するIAに変更するなどの対応を余儀なくされました。 

英語力が十分でなかった僕は、オンライン授業になったことで、授業後に先生に質問をする時間がなくなったことが大きな問題の一つでした。

これからIBを始める君へ

僕がIBをやっていて一番困ったのは「見通しが立たないこと」と「情報が足りないこと」でした。目の前の課題を追いかけるのに精一杯で、最後のIAやCAS、EEに最終テストなど長期の勉強と計画が必要なタスクが同時期に締め切りが来るということを直前まで知りませんでした。さらにIAやEEを先生に見てもらえる回数が一回だけであるということを知らずに、何度でも見てアドバイスをもらえると思っていました。そのために先生に適切な時期にアドバイスを受けることができませんでした。

IBの勉強に必死になっていて、TOEFLやSATをギリギリまで先送りしていたことでコロナやクーデターのアクシデントに対応できず、資格を取得することができませんでした。いかに全体を見通した計画を立てられるか、いかにタイムマネジメントできるかはIBを受ける上で非常に重要です。

そのために気をつけなければいけないことをこれから皆さんと共有することができれば嬉しいです。