ToKtober Fest 2022: おいしさを科学する

街角は様々な問いで溢れています。本屋に並ぶ書籍、アーケードで聞こえてくる音楽、やがて暗黙の秩序が生じる無秩序な人の流れ、商店街で交わされる一見無意味な会話。普段はなんとも思わないことがふと気になりだしたら、それが私たちの「知の目覚め」の合図です。

前回は、知の理論(Theory of Knowledge: TOK)でとりあげる8つの認知の方法、言語・知覚・感情・理性・想像・信仰・直観・記憶のフレームの中から主に知覚を中心に「おいしさ」について考えてみました。

今回は筑波大学附属坂戸高校を卒業した生徒たちと「おいしさ」について議論したときのことを振り返ってみたいと思います。

<議論の始まり>

尾花くんはおいしさについて、「金銭的なところに絞れば、経営や消費者行動のフィールドでは、心理的財布という概念があります。人間は心の中で財布をいくつか分けている」と心理学の知識を用いて分析しました。そして、「おいしいって概念ってなんでしょうね。単なる『味』ではなく、どういう要素が抽出できるのか、いろんな人の美味しいものエピソードを集めて、どんな文脈で美味しいと感じたのかを分析してみたらどうですか」と提案するのです。

「おいしい」という概念はたくさんの要素によって構成される。なるほど。これはまた面白い解釈です。では、どんな要素が考えられるのだろう。と思っていたところ、私たちのグループラインに、鹿間くんからこのような書き込みがありました。

「このエントリー読んで、食事とか食べるものって、おいしさだけが判断基準じゃないんだなーと、改めて思った(ヒトリゴト)。」

そして、この一言で議論が始まったのです。

<おいしさの構成要素>

彼らはまず、私が見た目でおいしさを判断するものの、実際に味わってみると期待したほど美味しくないという私の目から味わおうとすることについて、酒井くんは「偏った考えを「偏見」というように、我々の思考に視覚情報が大きくかかわっている」と分析しました。

そこから、私たちの話題は次第においしさを構成する複合的な要素について移っていきます。私は「人は情報を味わう」という航くんのアイディを紹介しました。そして、「値段、誰が作ったとか、どこどこ産の材料を使ったとか、店がどこにあるのかとか、流通とか、実に多角的に私たちはおいしさを判断しているのではないか」と続けました。

すると、過去の記憶、雰囲気、誰と一緒に食べるのか、五感と心理状態などの総合的な情報処理によっておいしさは判断されるのではないかとおいしさの構成要素について話が進みました。みなさんはどうですか?みなさんが感じるおいしさはどんな要素によって構成されていますか?

<おいしさの変数>

議論は「おいしさを計測できるとしたら」という話に移っていきます。浅見くんが次のように問題提起しました。

「仮に、『おいしさの値』があったとする。五感から得た情報のみを使って判断したおいしさは不変である。だが、その値に心理状態の値を加味した時に料理そのもののおいしさは増減する可能性があると考えてみたんだけど、みんなどう思う?」

鹿間くんは「その考え方は、誤差の考え方だ。真値、今でいう語感から得られた不変の『おいしさ値』があって、心理状態という系統的誤差(偏る誤差)と、偶然誤差が存在して、オレたちが得る『おいしさ値』は常にその誤差が乗っかっているという考え方」ではないかと分析します。

また、酒井くんはこのように話していました。

「生物的な観点で考察した時に、栄養摂取の効率化を図った結果、「味」が生まれたと今まで思ってきました。例えば、人間にとって栄養となるものや毒はまずくて、栄養満点なものはおいしいみたいな。でも、実際はそんなことはなくて、虫は栄養満点だけど、色んな意味でおいしくないし、ラーメンは体に悪いけどおいしい。ということは、おいしいとは動物的本能では生まれず、やはり人間が持つ思考によって形成されるものではないか、と思うようになりました。」

<最後に>

この議論は結局ひとつの結論には終着しませんでした。どこかに終着しようと思って始めたわけではないので、むしろこんなにも自分が持っていない視点を聞くことができたと嬉しかったのですが、この議論からひとつはっきりと言えることがあります。

それは、参加者が思い思いのことを自由に話すことができる物理的、心理的環境を整えることが議論をすることの前提条件だということです。安心して自分の意見を言える、聞いてもらえると信じられる環境がなければどんなに意味ある、意義ある内容を議論しようとしても絶対にうまくいきません。

だから大事なんですよね、普段のコミュニケーションが。議論をするときだけ、そんなモードを作っても、疑わしいんですよ、普段と違ったら。だから私は授業をファシリテーションする責任者としてメッセージを送り続けます。

この授業ではどんなことを発言しても、皆さんの人格が評価されることはありません。また、発言が否定されることもありません。むしろ、異なる視点が共有されることによって、私たちのオリジナルのアイディが洗練されていけばいいなと思っています。異なる視点が生まれるのはなぜか、自分はどういう背景を持っているからそう考えたのか、議論をとおして考えらたらいいなと思っています。

さて、今回のおいしさについての議論の一部始終は以下のエントリーのご覧いただけます。今回振り返りながら、私と大学生だった彼らはこんなことを話したんだなと思いつつ、後に授業でポスターセッションという方法を導入するためにこれを発展させたな思い出しつつ、この3年間にふけっていました。

食べ物のおいしさには限界があるという熊谷の主張に教え子たちが異論を唱えます。
食べ物のおいしさには限界があるという熊谷の主張に教え子たちが異論を唱えます。