今からIBを始める君へ:DPを終えて、今 [前編]

学力の再定義の必要性

国立大学附属学校は年に1回公開研究会を開催しています。筑坂では毎年2月に開かれていました。新しい教育実践を共有できるこういった機会は本当にありがたいです。朝早くから夕方まで授業参観や講演、分科会、情報交換会とたくさん学ぶ機会をいただきました。

講演は上智大学の奈須正裕先生が「資質・能力の育成を目指したカリキュラム・マネジメントについて」お話しされました。学力について、「内容」を重視した知識と技能を中心に学力を見る考え方と「資質」「能力」を重視した思考力、意欲、社会性などを含めた力(コンピテンシー)を学力と見るのかについて、新しく改訂される学習指導要領と合わせて説明がありました。

給食や課外活動など日本の学校の教科学習以外の場で行われる特別活動によって培われる、いわゆる非認知スキルも学力と見なされるようになってきたという話が印象に残っています。これはIBで言うと、CAS(Creativity・Activity・Service)という時間割外の活動をまとめた全世界共通のディプロマプログラムにおける必修科目にも共通する考え方です。

手段が目的化していないか

また、奈須先生は学校現場では「議論」とか「プレゼン」を学習成果の一つとして評価対象にしますが、例えば「議論すること」はどのような目的で、誰が参加して、どういう種類の話し合いや成果物があるのか、そこまで考えられたうえでデザインされているのかという問いを提示されました。私はその時、各教科の特性に応じてその種類が異なることをはっきり意識しました。

例えば、理科ではある現象を再構築可能なデータをもとにその現象の本質に迫る議論が行われます。では芸術ではどうでしょう。社会で起こっている問題を解決するための議論はどうでしょう。異なった見方を共有したり、妥協点を探るのも議論の目的になります。

それらを明らかにせず、学びのゴールが「議論」とか「プレゼン」とかにされていいないか検証する必要があると感じました。議論すること、プレゼンすることの過程で獲得される資質があります。培われるスキルがあります。各教科の特性によって、それらは変わっていくはずです。

それらのフレームとして国際バカロレアの教育は振り返るきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。

日本語DPで学ぶ

学芸大学附属国際中等学校は全員を対象にMYPのプログラムを実施しています、MYPは中学校1年生から高校1年生までを対象にしています。MYPを終了し、DPを始めたのが今回座談会に参加した5名を含む8名の生徒達でした。

8名は全員がディプロマを取得したそうです。グループ1の母国語分野で英語を選択した生徒が6名、日本語を選択した生徒が2名でした。

5名の生徒たちのうち4名は帰国生で、小学校は滞在していた国の現地校やインターナショナルスクールに通っていたそうです。1名が純日本人ですと話していました。中学校から学芸大附属国際中等に入学した生徒は本当は英語でDPをやりたかったが、日本語と英語によるデュアル・ランゲージDP(いわゆる日本語DP)しか選択肢がなかった。MYPのプログラムを経験してDPをやってみたいと思ったそうです。高校から入学した生徒は日本語と英語、どちらの言語力も伸ばすことができるので日本語DPができる学校を選んだということでした。

「国際バカロレア=英語」というイメージがある人々が日本語と英語によるデュアル・ランゲージDPは意味はあるのかと主張するのを聞くことがあります。それは本当に正しいのでしょうか。IBのプログラムはそれを学ぶことによって培われる資質の高さによって世界中の大学などから評価されています。何語で学んだかを最重要視しているわけではありません。

ここはまだ誤解があるようですが、何しろこのプログラムを修了した学習者の絶対的数が少ないので日本ではIBを学んだことによりどうなるのかということがイメージできませんよね。なので、このような機会に学習者の声を聞くことができるのは、私たちの理解を広げる助けになるので貴重な機会です。

中休み

私は日本の公教育にIBを導入することの最大の意味は、学ぶ方法を学習者が選択できるようになったことだと思っています。これまでは高校を選ぶ段階で、「何を」学ぶか選択肢がありました。普通科で学ぶのか、工業科で学ぶのか、商業科で学ぶのかといったことです。

でも、どう学ぶのかまでは選ぶことはできませんでした。では、DPを学んだ生徒はその方法を学ぶことをなぜ選択し、そしてその結果どうだったのか。

次回もう少し、ディプロマを取得した生徒の話を続けたいと思います。